家業から事業へ、スポンサーと歩む変革の道 ~ なめこ生産・森の木の子工房 荒木美成社長が語る ~
実父の祖業から完全撤退――。
事業承継や再生の現場では、時に大きな試練を迫る。経営者としての葛藤だけでなく、個人の生き方にも刃を向ける。
実父が創業したきのこ生産会社を承継した荒木美成・代表取締役社長は2024年2月、グループの法的整理を決断した。
東日本大震災で得意先スーパーの多くの店舗が閉鎖され、伴走支援者との生産技術を巡る対立もあった。様々な課題に向き合うなか、「社長のきのこ栽培への深い造詣と従業員との関係性に再生余地を感じた」と語るスポンサーと出会い、祖業である「えのき」から「なめこ」へ大胆な転換を決断。新体制1期目から経常黒字を確保した。
東京商工リサーチは、(株)森の木の子工房(宮城県川崎町)の荒木美成社長、スポンサーの(株)Brighten Japan(東京都港区)の川瀬高宏氏に、これまでの軌跡を聞いた。
株式会社森の木の子工房
2004年、宮城県川崎町にて、えのき茸の生産を目的に設立。
関連の(株)縁の起(えのき、山形県鮭川村)、農事組合法人どんぐり農園(宮城県川崎町)に販売する形で展開。
2024年2月に民事再生申請。
えのき生産から完全撤退し、なめこに経営資源を集中。生鮮出荷に加え、加工による高付加価値化で、収益構造の転換を図っている。
代表取締役社長・荒木美成(よしなり)氏
1972年生まれ
海外留学などを経て、実父経営の縁の起に入社
2004年9月、森の木の子工房(旧会社)を設立
2023年に実父が死去し、2024年2月にグループの法的整理を決断
2025年6月に受け皿会社・森の木の子工房(新会社)を設立
家業への想い、えのき生産の課題
1971年、山形県で縁の起を創業したのが実父だった。ものごころが付く前からえのきに囲まれる生活で「種付けから収穫、殺菌したものを熱い窯から取り出す作業まで、生産に関する仕事は全部やった。種は他社と変わらないが、やるべきことをしっかりやることで品質に違いが出ることを学んだ」(荒木社長)。東京の大学へ進学し、海外留学も経験するが、帰国後は家業に従事した。「帰国後に1年間、長野の同業で研修し、家業を継ぐ覚悟だった」(荒木社長)と当時を振り返る。

森の木の子工房・荒木美成社長
研修から戻ったのち、規模拡大を志向する。ただ、えのきは冷涼な気候を好む。気温は5℃を保つように栽培するため、空調設備で使用する電力消費量が大きく、コストが嵩む。このため、夏場の平均気温が低い太平洋側の地の利を活かし、2004年に宮城県で森の木の子工房を設立した。荒木社長は大手スーパーチェーンとの取引を増やし、生産キャパシティの拡大に踏み切った。
一方で、扱い品特有の問題も浮き彫りとなった。えのきは夏と冬で売上が大きく変動する。消費量が落ち込む夏場は「資金繰りの谷」となる状況が続いた。また、「BSE(牛海面状脳症)による、すきやき需要の減少が直撃したこともある」(荒木社長)など、外部環境の影響も受けやすかった。さらに、生産技術の発展で業界全体の供給過剰が慢性化。価格転嫁も進まなかった。
グループ3社で3億円前後の年間売上高を計上していたが、徐々に資金繰りが厳しくなり、2010年に金融機関にリスケを要請した。返済猶予を受けながら収益環境を改善し、資金繰りの正常化に努めた。
その矢先の2011年3月、東日本大震災が発生する。停電で育てていたえのきは台無しになり、得意先だったスーパーは沿岸地域の店舗閉鎖などで3カ月分の売上が消滅した。
大型設備投資も苦戦、法的整理へ
震災後、風評被害にも悩まされた。だが、徐々に受注は回復し、2018年にえのきの液種菌を接種する設備への投資を実施。得意先のスーパーも復調し、バイヤーとの親密な関係構築も後押しした。事業拡大に合わせ、増産体制を整えた。ところが、設備導入後にえのきの発生不良で生産量は20%落ち込んだ。
そこに電気代や包装費、人件費などの高騰が打撃となり、2020年に中小企業再生支援協議会(当時、支援協)の支援(※1)を仰いだ。
だが、その後もトラブルは続く。病害菌が大量発生し、2023年のえのきの生産量は70%も減少した。「(公的機関から派遣された)専門家と換気を巡って意見が対立した。オゾン殺菌の効果が薄れるため、換気は不要と助言され、しぶしぶ同意したが上手くいかなかった」(荒木社長)と振り返る。
実父から学んだ現場感覚は、机上理論の欠陥を見抜いていた。ただ、生産が進まないので業績は回復しない。2023年11月にはメインバンクから「追加融資は難しい」と最後通告を受けた。
一刻の猶予もなくなった荒木社長は抜本再生を決断。伴走支援者とともに法的整理による再生の道を急ピッチで計画する。
支援協から中小企業活性化協議会(活性協)に名称が変更後も支援を受け続けるなかで、森の木の子工房とどんぐり農園は、「えのき」から「なめこ」にシフトすることで利益を計上できる見込みが判明した。ただ、実父が創業した縁の起の再生は難しく、2024年2月1日、自己破産(同日開始決定)を申請した。
どんぐり農園は株式会社に組織変更したうえで、森の木の子工房が吸収合併し、2024年2月26日に民事再生を申請した。負債総額は約8億円に及んだ。荒木社長が祖業との決別を決断した瞬間だ。
※1 支援決定(405事業)は縁の起のみだが、グループ3社を包括した経営改善計画が策定された

スポンサー選定
活性協が伴走するなかで、再生企業への投融資を手掛けるBrighten Japanと出会う。同社の川瀬氏は、「宮城の工場へ視察に行った際、社長の知識や経験が生きていて、品質や生産ノウハウが蓄積されていると感じた。工場は非効率ではなく、従業員の雰囲気も良かった」と森の木の子工房との出会いを振り返る。荒木社長は「大手きのこメーカーや警備会社もスポンサー候補だった。だが、なめこは味噌汁に需要が限定されがちで、妙味がないと判断されたのだろう」と語る。
一方、Brighten Japanは傘下にフードビジネスの支援会社を抱え、乾燥しいたけ販売会社などへの投資実績を持つ。投資先の連携を通じ、商品開発を加速させ、企業価値を高める方針だ。
再生手続きではスポンサーは現れなかったが、その後の破産手続きにおいてBrighten Japanがスポンサーとして参画。新会社に全ての従業員を含め事業を一体的に譲渡する形で再建を進めた。
川瀬氏は、「宮城県川崎町は人口8,000人の小さな町。法的整理が大きく報じられたこともあり、『事業が立ち行かなくなった企業ではないか』といった趣旨の問い合わせが外部から寄せられる場面もあった。スポンサーとして大切に考えているのは、地域の産業と雇用を守る事だ」と力強く語る。
6次産業化を目指す
今後はグループの規模を活かし、なめこの生鮮出荷に加え、加工品の新規事業を立ち上げる予定だ。ふるさと納税やEC販売への対応など、販売チャネルも多様化し、生鮮品と加工品がそれぞれ事業の柱になるように計画している。
事業の受け皿会社として、2025年6月に設立された(株)森の木の子工房の第1期決算(2月期)は、売上高1億1,218万円、経常利益1,043万円の黒字を確保した。
目先の課題がないわけではない。「機械メンテナンスや従業員教育などが後手に回っている」(荒木社長)。だが、社長の視線は前を見続けている。今期(2027年2月期)は、売上高2億円、経常利益1,000万円を見込む。課題解決に向けた投資も実施した上での実現を目指す。

なめこに経営資源を振り向けた
「今までは難しかった商品開発や地域の産物と組み合わせた加工品に取り組んでいきたい。資金面での苦労から解放され、Brighten Japanのグループに入って未来が見えてきた」と荒木社長は期待を語る。
受け継いだ家業は、組織的な事業へ。扱い品はえのきからなめこへ、さらに加工品へ。
時代に合わせ、6次産業企業へのポジションの確立を目指す。外部環境が大きく変わるなか、荒木社長の経営を引き続き担う覚悟が滲む。
(東京商工リサーチ発行「TSR情報全国版」2026年6月29日号掲載「再生への軌跡」を再編集)