チャプター11をめぐる冒険 ~ なぜマレリはアメリカ倒産法を利用したのか ~
ずっと日本にいるのに時差ボケが続いている。
「マレリのチャプター11が近いから関連サイトをチェックし続けてくれ」と6月6日に先輩に言われて以降、私の生活はアメリカ時間だ。6月11日の申請後、日本時間に戻そうとしているが、如何せん根っからの夜型人間だから、なかなか戻せない。社内で月に一度、朝8時半から開催される「倒産状況報告会」に今月は間に合わなかった。倒産状況への認識共有を目的とする任意の会合だが、私の所属する情報部員で出席しない人はいない。
会がそろそろ終わるころに会場に滑り込んだが、上長から特にお咎めはなかった。というより、どこか眼差しが柔らかい。隣の席の同僚が「マレリ関連情報のクローリング担当(非公式)でお疲れのようです」と私の近況を伝えてくれたらしい。なるほど、人間クローリングの役回りも悪くない。
最後の5分しか参加できなかった会が終わり、自席でチャプター11後の動向を整理していたら、メールが大量に送られてきた。全国の情報担当者からのメールや営業担当者がお客さんから受け取ったそれだ。本文の書き方は様々だが、すべて同じことを聞いている。
「国内倒産法ではなく、なぜチャプター11だったのか」
私の所属する情報部では、こうした問い合わせを個人では直接受けず、部門アドレスに集約している。にもかかわらず、このメールの量は何だ。「Fw:」を冠したメール達の転送者をみるとすべて上長だ。あの眼差しはなんだったんだ。
私も馬鹿じゃない。この質問は想定済みで少し調べておいたし、先輩の取材内容も共有してもらっている。ただ、そのメモが至る所に散乱している。自己嫌悪に陥りながらもそれを探し出す。
時差ボケが表れている文字は乱れに乱れているが、なんとか解読する。概ねこんな感じだ。
●マレリグループは度重なる買収や統合で事業会社は全世界に散らばっている。このため、国内法だけで債務処理するのは厳しい
●国内法の民事再生では担保権者の権利行使を拘束できず、これを止めることができる会社更生は手続きが厳格すぎてスポンサー選定に時間がかかる。足元の資金繰りが厳しいマレリのスポンサー選定に時間がかかるのは致命的
●チャプター11は申請と同時に担保権の実行が禁止される。オートマティック・ステイと呼ばれるものだが、今回のケースでは民事再生と会社更生のいいとこ取りと言える
●アメリカ倒産法は「当然開始型」と言われ申請してすぐに効力を発揮するが、国内法は「裁判開始型」で手続き要件の確認などが必要
●チャプター11は債権回収の交渉材料としての部材納入や役務提供の停止も禁じており、自動車業界のようなサプライチェーンが巨大な場合は操業を維持しやすい
●債務整理の実務には、プレパッケージとプレネゴシエートの類型があって、私的整理で協力的な債権者とは合意し、反対債権者への対応でチャプター11を利用することがある
なかなかいいことが書いてあるじゃないか。これを基に返信メールのたたき台を作ろうと思っていると、横で先輩が誰かと電話で話し始めた。内容からファンド関係者っぽい。
息をひそめて会話に集中する。情報部に来て2カ月半、情報は社内の電話に聞き耳を立てていれば、そこそこ集まることも分かってきた。灯台下暗し、敵は本能寺にあり、両方とも若干ズレている気もするがそんな気分だ。
「つまり海外レンダーは法人としてのマレリではなく、事業自体に興味があると?はい、ええ、自動車業界は大型再編を狙っているファンドが… なるほど。事業資産に担保実行されたらひとたまり… もしもし?もしも…」
電話が切れる。その音でLINE通話だったと分かる。
「今日通信悪いんだよな、電話番号知らないし困ったな」
直電知らないのかよ、Z世代かよ。キーパーソンの直接の連絡先を知るのも仕事のうちだ、とかいつも講釈垂れているじゃないか。まぁいい、面白い話を聞いた。問い合わせへの返信に書く内容ではない気もするが、補足事項として入れおくか。サクッとメールのたたき台を作って返信した。少しすると上長に呼ばれた。
「綺麗にまとまっている。で、自分が直接取った情報はどこにあるんだ」
― ― ―!。試されていたのだ。マレリがバタつき始めた時から試されていたのだ。「今回は時間がないからこれでいい」と言い残して席を立った背中が遠く見えた。
(上長のノート)マレリがチャプター11を選択せざるを得なかった理由について、依然として東京商工リサーチ(TSR)には問い合わせが数多く寄せられています。マレリ側から納得いく説明を受けられていないと感じる関係者が多いことを物語ります。
前半部分で情報部員がまとめた「チャプター11の理由」(メモ)は合点がいきますが、もう少し具体的に考えたいところです。
そこで、アメリカ倒産法の第一人者である阿部信一郎弁護士(霞ヶ関国際法律事務所)に専門家目線の考察を聞きました。以下に要旨を掲載します。
―担保権者の権利行使の停止とスポンサー選定の迅速さがチャプター11を申請した一つの要因と思われます。
理屈としてはその通りですが、実際にはインドの会社がスポンサー候補として存在する旨の報道がありました。むしろスポンサーがチャプター11手続きを経て、簿外債務などがあればそれを一掃する、債権債務を手続き内で確定することを要求した可能性があります。換言すると、日本の倒産法制は海外では有名とはいえず、スポンサーとしてはどうしてもチャプター11という世界で有名な手続きを経て欲しいということです。
この手続きをとることで、アメリカばかりではなく、諸外国の債権者が有している債権の行使も事実上停止させることができるのです(サプライチェーンとの関係は後述します)。日本でも会社更生手続き中に米国でもチャプター11手続きをとった事件があります。日本の専門家からすると「屋上屋と重ねる」のではとの感想を抱きますが、それと同じ理屈に見えます。
―チャプター11のオートマティック・ステイは、民事再生と会社更生のいいとこ取りなのでしょうか。
そう言えなくもないですが、立法過程からすると民事再生も会社更生もチャプター11を参考にしており、「いいとこ取り」というよりは「原点回帰」との印象です。
―アメリカ倒産法は「当然開始型」、国内法は「裁判開始型」です。
国内法は開始要件を厳格に裁判所が判断します。なお、本件では無関係ですが、債権者申立のチャプター11では、当然開始ではなく要件を裁判所が確認します。
―債権回収の交渉材料としての部材納入や役務提供の停止も禁じるチャプター11は、大規模なサプライチェーン維持を目的する場合は有効に思えます。
国際的なサプライチェーン網がある場合を考えると分かりやすいでしょう。日本であれアメリカであれ、倒産法は他国で取引している債権者に影響を与えることはできない建前です(管轄)。日本の会社更生法の保全処分に違反するアメリカの業者に対し、違反を理由に損害賠償責任を負担させるためには、アメリカにおいてアメリカ法で対応しなければなりません。
ところがチャプター11であれば、その手続きに外国の業者が従わない場合、チャプター11に従わない外国の債権者は法廷侮辱罪となります。その場合、その外国の債権者のアメリカでの支店やアメリカ在住の代表者等はアメリカの法廷侮辱罪の対象となります。米国に入国した外国の破産管財人が、自国においてチャプター11のオートマティック・ステイに違反する行動をしたことを理由に、当局に拘束された事例もあります。
そのため、事実上アメリカと取引している業者はアメリカのチャプター11のオートマティック・ステイに従うことにより、アメリカ内の会社や会社関係者に害が及ばないように配慮しています。つまりチャプター11をアメリにて開始すれば、事実上、グローバルで債務者会社を債権者の攻撃から守ることができるのです。
ただし、強国の債権者は、こんなチャプター11の事実上の効力は自国とは関係ないとした例もありますが、グローバルな目線からすると例外的です。
(東京商工リサーチ発行「TSR情報全国版」2025年6月17日号掲載「私の周辺」を再編集)