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マレリと「6月の5日間」

 私は何と戦っているのだろう――。7年前に東京商工リサーチ(TSR)に入社し、調査員として信用調査報告書を数多く作成してきた。今年4月に情報部に異動して戸惑いながらも業務に取り組んでいるが、情報の取り方がこれまでと違う。調査員時代は調査先への直接取材が中心だったが、情報部ではそれ以外に「周辺」への聞き込みも欠かせない。そして、扱う案件が巨大でボーダーレスだ。
 マレリのことは自分なりに理解していたつもりだ。この4月以降、準則型私的整理の準則型の意味をしっかり調べたし、民事再生と簡易再生の関係性、金融債権がディスカウントで売却されていく流れも頭に叩き込んだ。ただ、今年5月上旬のある日、先輩から「チャプター11を調べておいて」と突然言われた。どうやら利用される可能性があるらしい。何を言っているのだ、日本には日本の倒産法があるじゃないか、との気持ちは抑えて指示に従うことにした。
 申請したことをどうやって知ることが出来るのか、申請時間に制限はあるのか、連邦破産法はいくつあるのか、日本の倒産法とはまったく違う「お作法」に途方に暮れた(しかも参照先が全部英語だ!)。
 あれこれ調べて、ぼんやりとアメリカ倒産法の全体像は分かってきた(ような気がする)。なぜチャプター11なのか。チャプター11には、オートマティックステイという効果があるらしい。民事再生では担保権の行使が可能だが、これが禁止されるようだ。民事再生では反対債権者の動きを完全に止めることができず、担保権者への制限が大きい会社更生だとスポンサー選択の手続きに時間がかかる。この辺をクリアできるのはチャプター11ということか、と私なりに理解した。これで先輩から意見を求められても(文字通り)固まることはない。
 申請した企業をシームレスに閲覧できるサイトも見つけた。フォーマットを日本語に訳し、「ここの部分をまず見る」などシミュレーションもした。さらに、社内で海外企業データを取り扱う部署の先輩に情報収集の仕方を聞いた。優しく丁寧なレクに感銘しつつも、どこか背筋が伸びるような視線も感じた。調査員時代に外資系企業を取材した感覚と似ている。私の理解度に応じて話のレベルが巧みにコントロールされている、あの感覚だ。多分、今回のチャプター11は日本の与信業界の到達レベルにも刃を向けてくる、そんなことを考えて、私に向いた視線を和らげた。
 申請はいつになるのだろう。スポンサーと目されている企業が所在するインド時間、申請場所となるアメリカ時間なのか。いずれにしても日本との時差は大きい。私はいつ眠ればいいのだ、と悶々としていると、「全員同意が取れない実務家みたいな顔してるな」と横やりが入った。面白くないし、趣味が悪い。こっちは真剣だ。
 5月28日(水)、先輩が事業再生に詳しい弁護士や会計士、コンサルタントの顔と名前を必死に覚えていた。そして昼過ぎ、どこかへ消えた。コソコソしていたので(全然ばれてますけど!)行先は聞かないようにしたが、債権者が集まって会議をする会場近くに張り込みにいったらしい。帰ってきた先輩に詳細を聞いたが、特段の収穫はなかったようだ。そもそも、そのビルは出入口がいくつもあるから一人で張り込んでも意味がない、とは言えなかった。ただ、(1)有力なファンドがその会議は欠席した、(2)6月9日が協議している私的整理案への態度表明の最終期限、との話が関係筋から入ってきた。期限の前営業日である6月6日(金)以降、いつ何が起こっても対応できるように、と告げられた。
 金曜日は気になって華金には繰り出さず、週末も気が付くと会社のサイトをリロードする時間を過ごした。
 6月9日(月)、翌10日(火)も表面的な動きはなかった。ただ、「マレリが一部報道に反論するリリースを出す」「今日の夜遅く(日本時間)に発表がある」「取引先向けの説明会を設定した」など情報が錯綜した。海外データを扱う部署からの情報、本社がある埼玉からの情報、私が所属する本社の同僚による情報、取引先や関係先からの情報、全てが時間を追うごとに変化する。差し入れとして置かれたお菓子、のど飴がどんどん減っていく。心なしか社内にある自動販売機のエナジードリンクの売れ行きもいい気がする。
 ずっと会社のサイトを見ているので、ロゴが水色の猫に見えてきた。サイトの説明によると、2019年の体制変更と同時に刷新されたこのロゴは、2つの幾何学的図形で形成され、高い精度のエンジニアリングと技術力を表しているという。上向きの2つの矢印は発展と未来を表すと同時に、2つの強い企業が調和の精神のもとで1つになることを意味しているらしい。企業の未来を信じたその意匠を見つめ、調整に奔走する人々に思いを馳せようとする。スケールの大きさに気が遠のく。
 6月11日(水)午前8時半(日本時間)、「これまでの内容を1時間で記事にまとめて、一人称視点で」と言われた。何を言っているんだ、こっちはここ数日アメリカ時間で生活していてクタクタだ。
 そして夕刻。チャプター11を申請したとの情報が入ってきた。「倒産速報」「これまでの交渉経緯」「マレリグループの取引先に関する分析」、「再生実務と私的整理への論考」の記事がTSRのニュースサイトに次々と掲載されていく。いつの間に用意していたのか。そして、書いていたこの文章にもペンが入っていく。
 私は何と戦っていたのだろう――。今はヘトヘトだが、振り返ると4月に異動した頃とは比べ物にならない程の知識が付いたと思う。情報の海の中で生きていく覚悟が少しできた気がした。

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