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今再び思い起こそう日本国憲法の崇高な理念

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公開日付:2016.06.03

(1)国民の改憲への要求は本当に高まったか?

 今年も憲法記念日を迎えるに当たり、安倍総理が、自分の在任中に憲法改定をしたいとの意思を表明したが、憲法の根本理念などを含めた全ての大改定なのか、戦争放棄などの部分的限定改正なのか、何を、どのように変えたいのかの内容は明確にせず、来るべき選挙対策のために民意を探るアドバルーンを上げたような発言にとどまっているが、これに合わせてマスコミ各社も恒例となっているその是非に関するアンケートを実施したが、いずれも示し合わせたかのような①賛成か、②反対か、③どちらともいえない、④よくわからないの4択式大雑把な設問で、その結果の各社平均値では、③が約41%と1位、②の反対が約37%と2位、①の賛成が約18%の3位、④が約4%で、大方の予想通りとなっていた。
 これを約十年前の、中国がまだ海上軍事力の強化と東・南シナ海の一方的領有主張をしていない2007年度のアンケート結果である、③約34%、②約32%、①約16%、④約18%と比較すると、改定に反対の伸びが目立ち、賛成はほぼ同数で変わらず、どちらともいえないが増加、よくわからないが大きく減少し、国民の憲法改定に関する関心はあるも、基本的には平和を望み戦争には反対だが、正しい情報が伝えられず、理解不足で賛否の判断に迷っている複雑な心境が推測できる。
 しかし、例えば③のような抽象的な回答項目より、第9条の戦争の放棄について、わが国が外国から攻め込まれた場合の反撃戦争などといった前提条件つけての設問や、部分限定での改定の賛否を問うなど、もう少し多様な設問の仕方をすれば、また違った結果となり、国民の意識がより具体的に覗えたのではなかろうか。
 このように、国民の憲法についての平素の関心はまだ十分とはいえず、案外知っているようで正しく理解されていない点があり、前記のよくわからないや賛成・反対意見の中にも、論理的な見解ではなく、敗戦後占領軍に半強制的に押し付けられた憲法だからとか、徴兵制度復帰で自分の子供が戦闘に駆り出されかねないからなどという個人的、情緒的判断基準も多分に含まれているのではなかろうか。
 従って毎年この時期に、改めて平和、主権在民、自由、平等を4本柱とする日本国憲法の崇高な理念を思い起こすことも重要であろう。なぜなら、国家や政府、憲法は、その国民の意識や能力レベル以上に良いものは決して望めないからだ。
 また、政府としても、国家の将来を決定づける憲法改定、とりわけ戦争権問題については、「不戦…戦闘する意思と能力は有するが、今は積極的に先制攻撃的な戦争はしないこと」なのか、「非戦…積極的に軍事力の強化を図らず、一貫して戦争を仕掛けず、戦争にならないように回避すること」なのかなど、可能な限りの情報の公明化と十分な国会審議を通じ、解りやすい説明に意を用い、「焦らずに急げ!」の慎重な姿勢で取り組み、国民の合意形成への努力を惜しんではならない。

(2)憲法典に関する基礎的知識

 1.憲法とは、辞書の定義によれば、「国家存立の基本的理念や条件、大原則を定めたもので、その他の諸法に優先する根本法であり、大多数の国民の合意を得ずに、特定支配者の意向や見解により、勝手に強制したり、変更することは許されない最高法規である」とされ、英語の語源には「共に成り立つ」といった意味が込められており、為政者側も国民側も、双方共に正しく理解し合い、その権利・義務を果たしてこそ成り立つということであろう。
 わかりやすく言えば、「国家の運営と、国民の安全・安心を守るための、国民の自主・自律と合意に基づく約束事であり、国を縛るルールである」、「私たち自身を幸せにするための道具」ともいえ、あくまでも人民を主体に置くものである。
 2.憲法、国歌、税法の3項は、それぞれの国家の理念や姿勢を最も端的に象徴するものであるとされるが、そういった面からは、国歌を制定しているほぼ190カ国の歌詞を見ると、自国の繁栄主体、武力での逞しさ誇示、排他的攻撃性、戦闘での勝利を願い、兵士の士気を鼓舞する武勇の表現がほとんどで、刃向かう敵を叩き潰せ、屍を踏み越え前に進め、国家の名誉と支配者への忠誠を示すために怖れず血を流せなどといった荒々しい語句が入ったものも結構多く、国家と国民の平和を願う温和な歌詞の国歌は日本とカナダの2カ国ぐらいである。
 3.憲法という決め事の歴史は古く、古代ギリシャやローマにも存在したといわれるが、それは支配者が自己の権力護持と誇示のために民衆に、こういうことをしてはならない、こうすべきだとなどと制約を強いた統治者側の論理のものであったが、現代のような国家や特定権力者の威圧と暴政を防ぎ、民衆の社会生活を円滑にするために一定の制約を加えるといった国民主体の考え方のものは、13世紀のイギリスのマグナ・カルタに端を発するとされてきた。
 しかしそういった人民志向、権力抑制の考え方の原型は、604年にわが国の聖徳太子が制定した17か条のご誓文に、たとえば「官吏は賄賂を取るな、任務を超えて職権を濫用するな」などとあるように既に見受けられたと、最近では世界の有識者が認めるようになってきている。
 それが更に具体的・実際的に、民衆の代表者の議会審議で承認を受け成文化され公布される、今日の多くの民主主義国の憲法となった歴史になると、意外に浅く新しく、第1号は1787年に作成されたアメリカ合衆国(1783年にパリ条約で独立建国が承認されてから3年目に制定・施行)とされ、日本の旧帝国憲法は、世界で14番目と古い法治先進国の部類である。
 とりわけ第2次世界大戦敗戦後に発布された新憲法は、平和憲法とも賞賛されているように、その崇高な理念は、世界各国から先見性があり、理想の国家像を示したモデルとして高く評価されているものである。
 4.国家運営の規範を示す憲法は、国家や国民の平穏を守り繁栄を図り、特定支配者の暴政を避けるために制定されるものであるから、その時代の環境や状況が変われば、それに適応するように改め、国民の合意で好ましいものに形成されて然るべきものというのが目下の世界の多くの国の常識的見解であり、従って全面的または部分限定改定を頻繁に行っている国も結構多く、主要国では、最多のインドが91回、ドイツ52回、アメリカ18回、メキシコ、ノルウエー、その他の弱小国では頻繁に変更している。
 といっても、国によっては7項目ほどの簡単な憲法や、政治・宗教分離でなく、宗教の教義が法であるとするイスラム教国などもあり、条文の多さや項目の簡単さ、改定頻度などより、大切なことはその理念や内容で評価すべきであろう。
 ちなみに現在の日本国憲法は、第1条から第103条までとなっている。
 5.ドイツの法学者イエリネクが、「法は、殺すな、盗むな、傷つけるなの3章で足り、倫理の最低限でしかない」と称したが、これは法の実際活用時において、違法でなければ良しでなく道徳律も重要だと説くものである。
 法の改定が頻繁であったり、法制度や規制などが多い国は、概して、国政が不安定で社会秩序が乱れ、国民が無教養で、公徳心が乏しい国か、それとは全く逆に、国民の教養レベルが高く、正義感、公徳心が強い、教条主義的で、社会秩序が厳格な国かのどちらかであるといえよう。
 6.多くの国の憲法には前文がるが、これは「憲法の顔」ともいえるもので、立法の主旨や、国家運営の基本理念などが明記されており、日本国憲法では、①恒久平和主義、②主権在民、③基本的人権の尊重、④自由と平等を主柱の理念とし、立法、行政、司法の「3権分立」に基づき統治するとしており、この崇高な前文の理念は、品格ある国のあるべき姿として高く評価され、わが国が誇るべきものである。
 7.憲法によって国家を律して政治を行うことを「立憲主義」というが、そういう意味では日本は、聖徳太子の頃から立憲主義国であったともいえる。
 近代国家は立憲主義で政治が行われているが、ただしそれは、国民の幸せが主体であり、国家権力が暴走し、好き勝手に税金を取り立てたり、他国の戦争を仕掛けるなどといったことで国民生活を脅かさないように、国家を縛るためのルールでなければならず、それがあって初めて、我々国民は憲法を尊重し遵守しようとする。
 従って国民一人一人がしっかりと憲法の本質を理解した上で正しい判断をすることが重要であり、これを十分に理解しないまま、権利は主張するが義務は果たさない、自分勝手な解釈や活用、周りの空気に流されて付和雷同し誤まった方向に雪崩れ込むようなことは厳格に慎まねばならない。

(3)戦後の日本国憲法(新憲法)制定の経緯

 最近のわが国の憲法論争を見聞きしていると、戦後の新憲法である「日本国憲法」は、アメリカ主体の占領軍により半強制的に押し付けれられたものであるから、自主的に制定した憲法に改めるべきだといったことが巷間で流布し、それに近年の近隣国との領有権を巡る緊張感から、戦争権放棄、自衛隊の軍隊化、海外派兵の是非などが便乗し、政争の具とされて、憲法問題がより複雑になっているが、その割には、本質的な将来の国家運営の理念や方法論には踏み込めていない感がする。
 しかし最近になって発見された終戦直後の総理大臣幣原喜重郎に仕えた側近者の克明なノートの記述によれば、その創案の作成・提示者は、アメリカ占領軍ではなく、幣原喜重郎自身であるという。
 ご参考までに幣原元首相の略歴を挿し挟んでおくと、1872年大阪府生まれの政治家で、東大卒業後に三菱財閥岩崎弥太郎の女婿となり、外交官を経て政界入りし、戦前の外交官時代に暴漢の襲撃を受けて片足を負傷し不自由になったが、進歩党、民主党、自民党の結成にも関与、衆議院議長などの重責を歴任、都合4度の外相、敗戦時には終戦調停調印の代表として署名、マッカーサーに認められて戦後処理の首相に就任。新憲法制定の草案を自ら作成し、GHQと折衝、その中でも特筆すべきは、戦争放棄と天皇制護持による国家統治、議会制民主主義、自由主義経済の採用などを日本側から表明、新憲法と戦後国家運営の基本理念と方針を設定した。
 その間において、対米英協調、対中国内政不干渉方針などが軟弱外交と批判されて政界を引退することとなったが、その平和主義と対話外交の偉大な功績は現在までも大きな影響を及ぼし、1951年79歳で没、東京駒込の染井霊園に葬られている。
 従って新憲法は、当時の日本の立場上からは、アメリカ政府や占領軍司令官マッカーサー元帥との折衝過程で調整した点があったことも当然であったろうが、決して占領軍により強引に一方的に押し付けられたものではないと著述している。
 すなわち、「敗戦後の日本国の存続と運営については、彼の方からGHQ総司令のマッカーサー元帥に面接を申し入れ、私見の希望として、新憲法制定の腹案を率直に述べた。これに対しマッカーサーは、いきなり先手を打たれた感で一瞬は戸惑ったが、その真摯な姿勢に心を打たれ、耳を傾け、幣原の新憲法草案に目を通した。
 ちょうどその頃元帥は、日本の終戦処理と戦後の占領政策の遂行、特に天皇制の存続、軍事力の解体などを日本国民にどう納得させて円滑に進めることが出きるか、下手にこれをアメリカ側から切り出すと、日本の抵抗が強まり、その後の占領下行政が難渋しかねず、どうしたものかと苦慮していた最中であったのだが、幣原の意見と草案では、その点について、予期もしていなかった戦争放棄、日本統合の象徴としての天皇制保持、永久平和主義などが明確に記されていたので、驚くと同時に、大いに感服し、参考になったと賛同の意を述べ、この男なら信頼できるし適任だと感じ、その後の終戦処理の総理就任にも快く応じ歓迎・容認したのだ」と書き残されていた。
 わが国では、明治時代以前は、厳密に言う立憲主義的な成文憲法は存在せず、近代的な憲法の歴史は1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法(俗に明治憲法、旧憲法とも称される)から始まり、その後の憲法大改編は、終戦後発布の日本国憲法(俗に新憲法とも称される)ということになり、その後国際環境や国内事情が大きく変わったが、新憲法の崇高な理念は永久不変の理想であり、金科玉条とされ、改憲に触れることは、敗戦のトラウマもあり、即軍国主義の復活に連なるもの、国内世論を混乱させ政権維持には不利として歴代内閣が敬遠し、大きな改正に着手されることがなく、それを不都合が生じるごとに、後手の彌縫策としての部分的微修正や解釈の仕方で誤魔化してきたことが問題であったといえよう。
 改憲に際して常に問題とされるのは第2章「戦争放棄」の第9条であるが、ここでは、第1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、第2項「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記されている。
 このように日本国憲法では、第2次世界大戦の悲惨な体験を踏まえた戦争についての深い反省に基づいて、平和主義を基本原理として採用し、戦争と戦力の放棄を宣言したのだが、平和主義の原理が採用された背景と経緯には、当時の敗戦国という立場から、当然、ポツダム宣言、アメリカ軍を中心とする戦勝連合国側の要求や意向、GHQとの折衝を通じた調整、当時の世界情勢などの影響も受け、それゆえに、占領軍の指示と原案に従ったものと受け取られるようになったが、アメリカの原案は幣原の草案を見た後のマッカーサー・ノートという彼のメモの要旨に基づくものであったのだから、日米合作の苦心の傑作といえなくもなく、したがって、彼の心を揺さぶり、捉え、好印象を与え、信頼を得た幣原喜重郎の意思が十分に汲み取られており、その功績が大であったことは、マッカーサー自身も自伝の「大戦回顧録」で認めているところである。
 これまでにも世界的に、さまざまな戦争廃絶の努力がされ、主要なものでは1791年のフランス憲法、第1次世界大戦終結後の国際連盟規約、1921年世界金融恐慌期のジュネーブ軍縮会議やパリ不戦条約、第2次世界大戦後の国際連合憲章や多くの国での戦争放棄規定などと実施もされてきたが、これらはいずれも、先進大国が主導し、旧植民地宗主国ものあったこれらの国の都合によるものが多かったことや、侵略戦争の制限や放棄にかかわるものでとどまり、結構抜け道もあったが、これに対して日本国憲法では、侵略戦争はもちろんのこと、武力の行使、武力による威嚇まで放棄したこと、それを徹底するため戦力の不保持を宣言したこと、国としての交戦権を否認したことの3点で総括的に戦争否定の姿勢を打ち出したこと、さらにはこれらに関連する「非核三原則」まで明確に表明している唯一の国であることは、他に比類のない特長といえる。

(4)なぜ今、どの点の改憲が必要なのか?

 憲法を守る義務があるのは、国民ではなく国家や為政者であり、その立憲に間接的ではあっても参画した国民は、それを尊重しなければならない。
 ところが昨今の改憲論では、国民の意向を尊重して汲み上げる改憲というより、国家・為政者の意向で都合の良いように解釈を拡大したり、改憲が画策されており、近代立憲国家における憲法の存在価値を根底から無視しているのではなかろうか。
 国民による国政への縛りである立憲主義がないがしろにされれば、国家が国民に保障している自由や権利までさまざまな制約を受け、政府に批判的な言動は規制され、財政難を理由に、増税や生活保護費が削減される可能性もある。
 従って憲法改定に当たっては、それを求める国民の総意の高まりを十分に確認し、その意向を真摯に受け容れ、国際的評価の高い理念や戦争放棄は温存するなど、保持すべき事項と改めるべき事項と峻別し、武器輸出を平和維持の救援物資とか、武器携行の自衛隊海外派兵を、後方の補給物資支援は戦争参加に当たらないなどといった詭弁や、なし崩しの挑発的な軍備強化などは厳に慎み、専守防衛のハリネズミに徹することの方が、国益と、国際的信頼と賛同を得ることになろう。目には目の対抗や、やられたら2~3倍返しといった考え方や姿勢では、いつまで経っても真の世界平和と人類の幸福は実現できないことを、日本のみならず世界中が認識し、大国から模範を示すべき時代に確実に変わりつつあるのだから。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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