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過剰欲望、競争、差別が争乱の因

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公開日付:2015.09.18

(1)将来の明暗を決定づける岐路に立つ世界。

 本年は第2次世界大戦の終結を迎えて70年の区切りの年として、わが国においても、世界の各国・各地域でも、この戦争の回顧と反省、知らされなかった新事実の公表、戦勝記念祝典や平和祈念の集いなどが開催され、これを契機に本世紀の新しい世界秩序の再構築や、真の恒久平和、人類の幸福とは何かを問い直し探求しようとする気運が高まりつつある。
 しかしもう一方では、依然として局地的な動乱や争乱が絶えず、イデオロギーや宗教理念の対立、新たな政治・軍事・経済・貿易の枠組み再編成、ブロック化や連帯の強化に伴う排他的動向の顕著化、軍事力の再強化、社会・共産主義大国の復権と冷戦の再燃、軍事に変わる経済・貿易戦争の激化、貧富格差の増大などといった好ましくない動きの活発化が懸念されるようにもなってきた。
 この背景には、国際的無差別テロの増発、再び台頭してきた社会主義大国の領有権主張と一方的な実力行使、BRICsなど急成長を見た新興経済発展諸国の好調さの挫折、スペイン経済の混乱やギリシャ財政破綻が発生し、一頃は通貨統合など斬新で壮大な思策への挑戦と世界の注目を集め、結束と拡大を誇ったEUの歪が露呈したこと、その善悪は別として、これまで世界秩序を主導してきたポリス国家超大アメリカの権威と信頼衰退、これらの秩序の混乱を中立的立場で調整したり抑制・規制し得る国際的な権威と信頼に持てる機関の機能が低下したこと、自由の履き違え風潮などから、世界が政治・軍事・経済的に大きく揺れ動いているといった時流の変化があり、人類は今再び、その将来の明暗を決定づける重大な理念や行動選択の岐路に立たされている。

(2)「世に争いの種は尽きまじ」といわれるが?

 人間も含めた全ての生物には、生来的に、生き延びて種族の繁殖・繁栄を望むという生まれながらに備え、他者より強く逞しく優越的な地位を得て競争に打ち勝ち支配したいといった欲求からの「闘争本能」があり、「それがなければ進化も進歩もない」ので「世に争いの種は尽きない」といってしまえばそれまでだが、複雑な人間はそれほど単純ではなく、思考や価値観、能力、行動態様などにおいて実に多様性を秘めている。
 従って、確かにそういった面があることも事実だが、それは多様な生得的欲求や社会生活の体験を通じて生後に習い覚えた習得的欲求も加えた多様な本能や欲求の極一部分にだけ注目し、突出させて捉えたものでしかなく、闘争本能だけが人間本能の全てではないのである。
 本能には、その他にも、生存本能、生殖本能、母性本能、友愛本能、仲間をつくり共生・協調したいという群集本能、食欲、睡眠・休養欲求、勤労・運動欲求、安心・安全生活をしたいといった欲求、安定した平穏な生活を望む安穏本能、その上に習得的要素が強い、誰からも干渉されず自己の思うままに自由で気楽に生きたいとする自由・独立を求める自我本能、人並みに公正・平等な扱いを受けたいといった並列的思考本能、他者から認められ賞賛を得たい、人より目立ちたい、他者と異なる自己なりの特性や能力を身につけ、優越感を味わいたいなどといった本能的ともいうべき欲求は多々ある。
 ただその人が今、自分の置かれた環境や状況、自己の知識や能力に基づき、どの欲求や本能を優先させて発動するかで、行動態様が変わってくる。
 こういった本能的な行動態様は、人間だけでなく原始的な野生動物の世界においてさえも見受けられるものである。
 例えば、種族の生死をかけた餌場確保のための縄張り争い場面でも、ただ我武者羅に自己主張で見境もなく相手が誰であろうと構わずに闘いを挑み、領地の拡大を図るのでなく、闘っても勝ち目がないと感じた相手には、無謀な喧嘩を仕掛けず、身の程を弁えて、君子危うきに近寄らずで、直接的対決を避け、別の領地を求めて退避したり、自己の一族が生存するに必要なだけの領地が確保できれば、それ以上に無用な領土の拡大は望まない節度を心得ているし、他の種族とは異なった進化で得た特性を身につけ、背が高く首の長いキリンは、高木の上部の新芽を食し、下部は小さな動物に譲って食しないなどというように、狙う餌物に差異をつけて無用な闘争を避け、他種族との譲り合いや棲み分けで共生・共存を図っているのである。
 蜜蜂も、餌とする花樹が多い地域では棲息領域が狭くその密度も高いが、天候が悪い年で十分な餌が得られない場合には、止むなく縄張り領域を広く取る。近年都市部住宅地での野生動物や大型蜜蜂の進出や繁殖が増加したと騒がれるが、これとても人間の身勝手さで、彼らの本来の恵まれた餌場であった山野を乱開発し、その生存を脅かした結果である。
 このように原始的な野生動物でさえ、欲望の趣くままの無益な闘争本能むき出しの抑制を心得ているというのに、優れた理性のある種族といわれる人間が、畜生以下の無益な醜い闘争を繰り返し、未だにそれを調整・抑制しようとも反省もしないで、闘争本能は人間の性だ、戦争絶滅や恒久平和論などは、弱気で現実離れをした人間の単なる理想論でしかないなどと黙殺し放任するなどといったことは、恥ずべきこと、そういった人間の方こそが、目先の利益に捉われ、目が濁り心が腐った、大局観がなく近視眼的な、道徳倫理観を失くした時代遅れの愚か者だというべきであろう。
 権威ある辞書の定義では、「本能」とは、人間やその他の動物が生まれつき持っていると考えられる思考や行動の様式や能力。あらゆる動物が、外界の変化に適切に対応するためにとる生得的で、共通的あるいはその種に特有な反応形式。本能主義とは、「本能を満足させることが人生の最高目的であるとする人生観」とある。

(3)あらゆる物事には二面性がある。

 この世の中のあらゆるものには、陰と陽、明と暗、表と裏、髙と低、長所と短所、善と悪、強と弱、喜と怒、哀と楽、緩と急、遅と速、温暖と寒冷、騒乱と平穏、順調と逆境、緊張と弛緩、貧と富、硬と軟、大と小、縦と横などといった二面性があり、いずれもその両面を程度の差こそあれ共に有し、逆もまた真なりといった面もある。
 これらがその時・場所・状況に応じ、どの分野の、どちらの面が、単独または複合して、その程度の割合で発動されるかということで行動態様が変化することとなるので、常に発信側としては、その一面だけを突出して露骨に表出することなく、両面と多様な要素の使い分けと、適度を知った中庸の姿勢、両極端への偏重を是正し均衡を図るバランス感覚、相手の立場や周囲の状況との調和も弁えた一抹の慎み深さが要求され、受信側としても同様な多角的考察と判断、適応行動が必要であり、双方共に、自己本位の武力や経済力、狡猾あ謀略的外交や情報操作など「力」による威圧的支配や解決策より、対話に互譲・互助・互恵の姿勢と解決策をこそ志向すべきといえよう。
 ただ1点だけの人間というのでは、その実態が狭量で不明であり、何も形成されないが、2点を最短距離で結べば、幾何学の定理で「2点間を結ぶ最短の線は直線である」とあるように、ただ一筋の道を真っ直ぐに突っ走る競走馬のような、たとえある限られた分野での出世は早くても、鋭角的専門家だが幅も厚みもない面白味のない一次元な人間でしかない。もう少し分野を広げ、本業にも邁進するが、それに関連する趣味や遊びにも関心を持つといったように3点を結べば、同じく「3点を結ぶ線は平面を形成する」とあるように、幅があり多様な能力を有する二次元的な人間としての魅力を増す。さらにより多方面に関心を持ち多様な知識や能力を身につける努力をすれば、同じく「あらゆる点を全うする面は丸い球形面体を形成する」とあるように、これで初めて、幅も広く、厚みも、奥行きも、深味も、面白味も、人間的な暖かさもある「心・知・技・体」の整った3次元的な、所謂円満な人格が形成され、他人の悩みや苦労にも理解が示せる器量のある大人物となる。
 残念ながら昨今の日本の政治家や財界人には、世界の舞台への飛躍を目指した明治時代の政治家や財界人のような器量も魅力も太腹さも、ノブレス・オブリージェ(優越的指導者に要求される倫理観と責務、品格)が無く、ただ自己や自社の損得や目先のお金儲けと株価の変動、権力や保身維持、人気取りにしか関心がない、先見性と民衆志向を欠く小粒の者が多いようであり、だから政治も外交も、経済も企業も、個性と独自性、安定感と永続的発展性の無いものに成り下がったように感じる。
 こういった思考と能力レベルの指導者たちが独裁的に支配し、対抗し合うようになると悪の連鎖と増幅で益々世の中は乱れ、悪が蔓延れば道理や良識者が放遂され、弱者は犠牲になり、見捨てられることになるし、こういった両極端への二極分化が進んで限度を超えると、やがては二極分化が分裂と成り、挙句に結果は勝ち組も負け組みも共倒れの衰退、破滅を迎えることとなる。
 太古の宇宙の大爆発ビッグバンも、天体のエネルギーや体積の膨張が巨大化し過ぎ限度を超えた結果の分裂にあったとされるが、「物極必反」、万物は常に膨張や収縮、巨大化と分裂を繰り返し、その適度への調整を繰り返しながら流転し、存在を永らえてきたが、これが自然界の真理であり摂理といえよう。
 故に「大きく剛強であるだけが良いこと」ではなく、「大きく剛強であることも良いことではあるが、さりとて小・軟・弱はだめで、常に負けて敗退するとは限らず、小よく大を制すこともある。要はその適度さと、両者の適当な割合での組み合わせと相互作用の適切さこそが良いこと」というのが正しかろう。
 このことは、過去の桶狭間の戦いでの織田信長軍の勝利という体験的実績、大小さまざまな形状の石を乱積みした城の石垣の頑丈さなどが立証し、国家や企業などの組織構成や運営についてもいえることである。

(4)国家も企業も、トップの姿勢を反映し、その器量以上には発展しない。

 人間社会で、組織を構成する最小単位は家族だといわれるが、そういった家庭の組織だけでなく、国家や大企業といった組織であっても、筆者の過去の多くの事業経営指導体験から言えることは、組織は、恐ろしいほど、その組織を実質的に支配するリーダーの人格や能力を反映し、その性格通りの組織風土や雰囲気と成り、またその器量や能力以上には決して大きく発展はしないということであり、まさに「企業は人なり、トップ次第」ということになる。
 こういった見地から現代の安倍政権の国家運営姿勢を見ると、一度目の総理就任時の八方美人的で敵を作らない気配りの謙虚さがあったのとはかなり異なり、表面的で内容が不明・不安とはいえ奇抜なアベノミクス政策を押し立てた総選挙で自民党を圧勝させ、与党の地位を奪回させた自信からか、二度目の総理着任後は、極めて祖父の元岸信介総理に似となり、権力と多数の力、アメリカの後押しを背景に、虎の威を借りる狐ともいうべき狡猾さと強引さ、飴と鞭で、官僚とマスコミと財界を抱き込み、世論形成を図るなど、権力の地位保持と自己保身の政界と国会運営術だけは巧妙になり、独断専行、親米、アメリカの亜流志向、株価頼みのまやかしバブル経済政策、拝金市場主義、遠交近攻の鷹派外交、選挙時の投票に連なる大企業や富裕層優遇政策、票に結びつかない反御用学者のインテリ層、中小零細企業、低所得層や福祉政策には冷淡、無定見で勝ち馬に従いがちな大衆層には「民は由らしむべし知らしべからず」で接し、トリクル・ダウンといった実効性が乏しい儚い夢を抱かせて誤魔化し手なづけようとするなどの姿勢を一層鮮明にすることとなった。
 このような国家のトップの姿勢が政治や経済にも反映し、国民の思考形成や生活態様にも悪影響を及ぼし、物事の道理や正義、善悪、正義に基づく正しい判断と行動より、成功や勝者、有名人になること、幸福感の価値尺度が、少々あくどい手段や不法、不正な行為をしても、頭を形式的に下げれば禊は済ませられるので、とにかくお金を稼ぎ、愚衆や巷間で著名になれば成功者やタレントであり、幸福はお金で買えるものなどといった誤まった価値観を植えつけ、殺伐とした心のゆとりや豊かさがない「財貨多きは徳傷(やぶ)る」といった、財物的文明の発展の裏面での精神文明の荒廃を招き、社会秩序が乱れ安心・安定感にない動乱の世を生み出したいえよう。

(5)人は貧しきを憂うのでなく、等しからざるを憂う。

 あらゆる争乱の直接的近因のきっかけは武力的攻撃にあったとしても、その真の遠因は、勝てば官軍で、後から美化され修正された正義の理由付けがされがちだが、根本的な原因には、優越的地位にある者の奢りと慢心からの身勝手な横暴さ、その既得権益や地位を保持しようとする執着心からの、意図的な身分や所得貧富の差別化政策、その結果としての富の配分の不公正・不公平に対する不満と反抗、阿漕なまでにモア・アンド・モアを望む人間の過剰な欲求と富の寡占化を目指す性のあさましさ、のし上がりその地位を奪取しようと企むライバルの出現、それを阻止し、叩き潰そうとする者との醜い争い、限度を超えた貧富の格差や租税負担率、公的社会福祉の給付・恩恵の不適正な配分によるなどである。
 国民の不満や治世への満足度は、その国の経済規模が大きく豊かで成熟期に入った大国の方に不満が多く、満足度が低いし、社会秩序の荒廃も目立つが、逆に天然資源や環境に恵まれず、経済規模が小さく経済水準も低いし、軍事防衛力も、社会福祉も不十分で、俗に貧しいとされている国の方がむしろ国民の不満も少なく、国家の治世や生活の安心・安定などに満足度が高い。
 南アジアのバングラディッシュ、ブータン、ネパール、永世中立国のスイスやニカラグアなどがその好例であり、わが国の将来進路を選択する際の参考ともなろう。
 このことからいえることは、民衆は「乏しさや貧しさを憂うのでなく、その等しからざることを憂う」ものである。敗戦後や大震災後のように、たとえ窮乏はあっても、皆が共に同じような貧苦を分かち合っているなら、互いに励まし助け合いこそするが、不平・不満は生じないが、税制や助成など政策的な支援の恩恵で、恵まれている者と恩恵を受けることがないか少ない者とが存在し、その格差が大きいと不満は増幅・爆発する。残念なあがらわが国には、こういった合理性を欠く公的制度のミスリードで生ぜしめた貧富格差増大への民衆の不満・不安、社会秩序混乱の因が潜在する。
 たとえば、日本の有名大企業社長で役員報酬No.1の年額は躍55億円(注:配当収入その他を含めた総収入額ではない。その他を含めた総収入では更に高額になる)だが、勤労者の平均年収は約750万円と大きな開きがあり、しかも報酬所得の最高税率は50%だが、配当収入の税率は選択方法で多少変わるが約20%と低いこと、親譲りの資産などの不労所得(労働所得に対し、不動産、金融・配当収益、印税・特許収入などの不労所得は「権利収益」ともいえる)を得ている者の贈与や相続税は軽減されるが、労働所得だけの者は逆に増税の負担を負うといったこと、労働所得の場合は、1人・1時間・1定額の労働日数分=年収という足し算の所得だが、権利所得は利が利を生む梃子の原理の掛け算所得となる仕組みであること、同じ程度の能力を有し、同じ職務の勤労義務と責任を負わされながら、同一労働同一賃金でなく企業福祉にも差があること、雇用形態により正規と非正規社員で待遇が大きく異なること、公務員、企業勤務者の年金と、独自の努力と才覚で稼がねばならず、万一健康を害し所得の道が絶たれても誰からも助けてもらえない自営業・自由業者の国民年金とでは、俗に三階建てと平屋といった大差があるというのでは、法の下の平等という憲法の基本原則に反するのではないかと文句の一つも言いたくなるのは当然であろう。
 地球自然環境や世界情勢など多様な分野の激動と変化があり、量的拡大から質的充実への転換、真の世界の恒久平和、人類の幸福とは何かを考え直し、将来に向けての世界や国家の再構築を確立すべき節目に当たり、わが国も、好ましい政治・経済の原点に立ち返り、「民衆主義」の国家運営に意識を改め、トリクル・ダウン政策より、直接的に底辺からのエネルギーで実体経済を盛り上げるという「頭寒足熱」の政策に転じられることを期待したい。なぜなら樹木でも、根に養分が行き届かないと活力低下で枝葉が茂らず、花実を得ず、成長しなくなるのと同じだからである。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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