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経済成長は国民の幸福追求への目的か手段か?

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公開日付:2014.10.24

(1)根本的パラダイムの転換期に立つ地球世界

 戦後日本の経済発展を支えてきたのは、アメリカ流の市場自由競争を尊重する資本主義体制にあったとされるが、近年のわが国のみならず世界的な経済の不安定さと貧富格差の増大といった問題の要因もまた、この市場原理による自由資本主義経済システムにあるとされ、2008年のリーマンショックがその象徴的な現象で、これを契機に20世紀の後半からアメリカが主導してきた近代経済は見直され、修正を余儀なくされ、新しい発想での経済体制のあり方が模索されるようになってきた。
 更にその上、18世紀以降の世界を支配してきたキリスト教国を主体とする先進的資本主義経済の歪が露呈した混乱期につけ込み、これとは対極にある教条主義的なイスラム原理主義への関心あ財物的な繁栄を謳歌する自由主義圏の勝ち組から取り残された諸国を主体に急速に高まり、2025年頃にはイスラム教の宗教人口がキリスト教の宗教人口を上回って一位を占め、世界の4割を占めるとの予測もあるなど、ここに来て地球社会や経済の構造は大きく変化し、一層流動的で不安定さと混迷の度を深め、あらゆる面での価値観や行動態様の、新しい時流に適応した正しい方向への根本的・革新的転換が求められるようになり、今改めて好ましい政治・経済の原点とはなにか、財物的な経済成長や秩序なき自由主義、市場原理主義が、世界の恒久平和と人類の幸福実現の手段として本当に有効化かが問われている。
 現代のような市場での自由活発な競争を尊重しようとする自由・市場主義経済の考え方は、なにも敗戦後の日本が、戦勝国であり先進性を有していたとされる欧米の亜流を押し付けられて追従したものではなく、わが国でもほぼ同じ時期、即ち西欧では農業・牧畜経済や手作業生産から機械工業生産経済への転機、わが国でもコメ(農業)経済から商業経済へと時代が変転する時期に、異才の先覚的支配者であった織田信長が発案・実施した楽市楽座などでも見受けられ、とりわけ江戸時代の大阪コメ市場における先物相場取引や、三菱・三井・住友など旧財閥組織の総本社制度(現代の持ち株会社制度)などは、むしろ日本が世界に先鞭をつけた考え方や手法であったといえ、それゆえに初来日した欧州の宣教師が、未開発後進国と侮り植民地化しようと目論んでいた小さな島国の先進性や優れた秩序正しい社会制度に驚嘆し、以降、その支配下に置こうとした意図を改めたとさえいわれるものであったのだ。
 このように、何が正しい価値観や考え方、適切な手法や制度かなどといったことは、その時代背景や環境、それぞれの置かれた位置や状況の差異や変化に応じて、それに適応して生存・進化するための必要な知恵として生じるものであり、従って時代潮流や周囲の環境の変化に応じて常に変遷し、さまざまな選択がなされる自由さや柔軟さ、鷹揚さがあってしかるべきものといえよう。
 但し、その根底にある「真理」や、自然界の「適者生存、適量安泰、生者必滅、物極必反、新陳代謝、弱肉強食、共存共栄」などといった大原則は永久不変の摂理であるから尊重し、表層的な変革での新奇さを図るばかりにこれを亡失・逸脱しないため、人間としての理性や徳性、自由の代償は自律と自己責任であるといったことも忘れない一抹の謙虚さも大切に保持し続ける必要があろう。

(2)近代世界の繁栄を招いた欧米流自由・資本主義経済の功罪

 本来、自由人である人間は誰でも、他者からの威圧的束縛や干渉を好まず、己の欲望の赴くままに自由に行動したいと望むものである。

 しかし、地球上のあらゆる動植物は、似通ったものはあっても全く同じものがないということは、数百億個ともいわれる真核細胞とその分裂過程で生じる染色体の多様な組み合わせで精巧に形成された人間といえども例外ではなく、すべてが画一的に同じ規格といった機械のような産物ではなく、さまざまに異なり、誰一人として全く同じといった外観、体格・体質・体力、知能、思考や価値観といった者は存在しない。

 また、「人」という文字の形成に「他者との対等の協力や互助が大切」という意が込められている(ちなみに文字は体を表すといわれるが、現代の常用漢字では左右の長さが均等でなく異なり、強者を弱者が必至で支えている世相を反映している)ように、「人間はただ一人だけでは、決して健全に生存・成長し得ず、お互いに作用し影響しあってこそ生存・成長が可能になる」し、そこでは必然的に弱肉強食の生存競争が展開され、その過程で、それぞれなりの得性を発揮して生き残ろう、努力して優位に立とうとする競争心が生じたり、優越性を誇示したり、その余力を他者のために供したり、他者と協力し合って生き、己だけが富を独占し他を絶滅させれば、やがて己自身も生き残れないことを悟り、全ての富を完全収奪・抹殺せずに控え、将来の発展に備えることや、他者のことを慮る譲り合い、互助・互恵という理性と美徳が生じることとなった長所や効用もある。
 辞書による定義では、意志的自由とは、「自己の判断で責任をもって何かをすることに、他者の指示や干渉、束縛や強制などといった障害がないこと」とされ、社会的自由とは、「自由は一定の前提条件の上で成立しているから、無条件的な絶対の完全自由な状態は人間社会にはあり得ない」、「自由は、障害となる条件の除去や緩和により拡大するから、目的のために自然的・社会的制約条件を変革することは自由の増大となるが、この意味での自由は、自然・社会の法則の認識を通じて実現される」とある。
 要するに、各自の欲望の赴くままの無統制な勝手気ままのやりたい放題で、良識ある人間としての理性での自律がなく、他者や周囲への配慮もない、利己的で身勝手な傍若無人な行為は、真の成熟した自由ではないということであろう。
 確かにこの定義にあるように、自由に、誰からも指示や干渉、束縛を受けず、自己裁量で意思決定をして行動することが可能だが、一方、自由の代償は、自主的判断と行動に伴う自己責任も負うこととなるので、一定の常識的レベル以上の良識や健全で適切な判断・意思決定・遂行・自立的抑制・責任負担能力が備わっていることや、理性による自律的抑制による秩序の維持などが前提条件となるが、その信任に応え得る能力を有する者にとっては、その能力を自発的にフルに発揮する場面や機会が得られるので、良い意味での未知への挑戦心や切磋琢磨の競争心、向上心を刺激し、自発的やる気が起きるし、他者より努力して優越的な富や満足感を得たいといった高次元の自己実現欲求を満たすこととなるので、そういった意識と能力を有する人たちの力の結集や累積は、社会や企業経営の活力の増強、国家や経済発展の大きなエネルギーとなるので、好ましい社会システムといえよう。
 これが自由さを尊び、自由主義社会や自由・市場主義経済を進歩的で高度に成熟した国家や社会、企業経営に適した先進的システムとして信望し遂行する論理的な根拠であり、長所や利点といえよう。
 とはいえ、国政や経済政策、事業経営など、全ての物事には必ず、相対性と表裏・損得・明暗に両面があり、例えば、貸付金利の低下は、借り手企業には好都合でも、純預金者にとっては、預金金利も連動して下がるので不利、その利鞘縮小を銀行だけが背負い込むと銀行収益の悪化、厳選融資、景気の停滞となったり、株の取引きで、高値で売り逃げ大儲をする大手機関投資家が存在する反面では、必ず高値で買わされ、その後の値下がりで大損をする多数の大衆投資家が存在してこそ株式の売買が成立するように、一方に好都合なことは相手方には不都合なこととなり、長期間かけての国家や経済の全体的パイの拡大がない限り、取引当事者すべてのハッピーなど保障されず、まさに悲喜こもごも、禍福は糾える縄の如しということである。
 ましてや社会の変動が激しくそのテンポが速いとなればなおさら、その不安定さからのリスクは増大する。
 それを、過剰な人為的規制や介入を廃し、自由で自然的な市場の需要と供給の取引関係に任せれば、ある程度の期間は要し、即効性はなくとも、やがては双方が納得し、落ち着くべき取引相場価格に調整され、経済社会の実態が素直に反映されるというのが、簡明にいった市場原理主義経済の論理的根拠である。
 但しこれに、特定権力者や強い勢力者の理性とノブレス・オブリージュ(良識)で、利己的な思惑からの人為的介入や相場形成の操作がないという公明性が保持されていることが前提条件となる。
 しかしこういった頻繁で大幅な国際経済動向や市場相場変動を先取りし、それに機敏に対応し得るリス抵抗力や、標準的な知識や能力レベルに未だ達していない発展途上段階、あるいは経済発展や国際的自由競争力の基礎となる地勢的条件、天然埋蔵資源・食料資源の自給力といった環境条件などに恵まれない国家や国民にとっては、いかに自由や、自主的判断での意思決定や行動、それに伴う自己責任といわれても、それに自身が持てず、信頼Dけいる為政者の強力な指導力や、国家・社会の全体的統制や規制があった方が、安心できるし、財物的豊かさには恵まれてなくても、比較的に貧富格差がなく皆が公平で平穏な生活を維持できるなら、厳しい競争社会で苛立ち、その勝ち負けに拘り心の豊かさを失するより幸福だと感じ、そんな社会全体主義の統制社会を選択することとなろう。
 従って優越的立場にある強者の論理だけで、自国に都合の良い面だけの自由化を主張し、不都合な点に関しては厳格な自己防衛機制を死守するという姿勢での自由主義・市場原理主義経済システムを、グローバル・スタンダードやTPPだなどと相手国の事情も配慮せず、一方的・画一的・威圧的に押し付けることは。本当の自由尊重主義とはいえず、利己的自由化でしかない。
 自由・資本主義経済や市場原理主義経済、投資金融経済などの下で、市場相場の変動での差益稼ぎを狙うマネーゲームの過熱は、いかに高度な数学を駆使したファイナンス・エンジニアリングだ、小口証券化したリスク分散のシステムによる関係者全てがウイン・ウインという優れた金融商品だなどと美化して喧伝しても、所詮は勝てると自信の持てる優越的地位とリスクに耐えるだけの能力を有する強者にとっては都合が良い論理で展開する、いかにもユダヤ系アメリカ人らしい狡猾な発想のビジネスモデルであり、勝負に敗れて泣きを見る人が生じることを承知で、そのようなカモとなる美味しい顧客を巧妙に騙し、早売り逃げの競争を仕掛けるポーカーゲームか、知的に見せかけた博打ゲームであることには変わりなく、だから彼らの業界隠語では、そのような騙しやすい顧客をスイート・グラベル(甘い砂利)と称しているのだから、儲けのためには手段を選ばず、何をやっても勝てば官軍といった類の自由さを悪用した、経済倫理観など糞食らえといった拝金主義の典型といえよう。
 真の公正で公明や自由の尊重というなら、公平な情報量と土俵で、一定のルールや規制の範囲内で、同じ条件の下で正々堂々と知能を競い合うものであるべきであり、また自己の自由さだけでなく、相手の立場や状況に則った応分の自由や選択の自由さも認めて柔軟且つ鷹揚に対応する互恵平等の理念や、自然の摂理に謙虚に委ねて従うことこそが、正しい本当の市場原理主義、自由主義経済の姿でなけれはならない。
 これに反して、行過ぎた投資金融資本主義、自由・市場原理主義経済の弊害が露呈した結果、世界の独占的覇権を制した巨大国アメリカが、近年になりその経済の根底の弱体化から不安定化し、世界的信頼の失墜と威信の低下を招いたといえる。
 やがて近位将来に、アメリカに引き続き、巨大化と極端化の弊害を抱え、同じような途を辿るであろうと懸念されるのが、一国二制度といった危なっかしい政策の都合の良い使い分けで虚勢を張り、世界の生産工場として諸外国からの投資と技術を取り込み、その生産品の海外輸出依存で急成長を果たし、このままの勢いが続けば、2025年頃にはDGPではアメリカを凌駕し世界一になるであろうと予測されてはいるが、国内に複雑な貧富や地域間格差の増大、不動産バブル経済破綻の兆し顕著化、過去に統合した多様な民族や自治区の不満爆発と独立志向の高まり、産業公害の深刻化、電子情報システムの急速な普及に伴い、独裁的社会主義国の秩序維持策としてきた情報や国家経済の統制が機能低下したこと、粗悪な製品のっ輸出で、その品質への国際的安全性・信頼性が失墜したこと、領有権を巡る近隣諸国との紛争多発、アジア諸国の中国封じ込め気運の高揚、国策に協調しようとしない若者の台頭と離反、生産基地を持つ進出外国企業の一斉引き上げ傾向などの諸問題を抱える新興大国中国のであろう。

(3)世界的な激動・転換期に対処するリスク回避の要点

 歴史的に、ある時期に反映を謳歌した大国の衰亡の要因を考察すると、直接的な現象としては他国からの侵攻を受けて敗退したという例も多いが、それとても、更にその根本的な遠因を探求すると、武力による敗退というより、基本的には「物極必反」、「適量安泰」という自然界の摂理に反した巨大化や過剰欲望の弊害と、精神的墜落や荒廃、貧富格差などの不公平感からの内紛での衰退・崩壊に尽きる。
 すなわち、地盤の陥没、火山の爆発、巨大恐竜の絶滅など、全て物事には自ずから極限があり、その限界を超えると反転して崩壊や下降に転じるという「アナストロフエ=上方志向の破局」を招き、調和安定水準にまで修正しようとする復元力が働くということであり、離合集散が繰り返されてきたのが世界の歴史だ。
 これは国家の運営や事業の経営、販売戦略にも通じ、古代ローマ帝国の分裂、第2次世界大戦時の日本、ソ連邦の崩壊などは全てこの類で、今この矛盾に直面しているのがアメリカ合衆国、中国などであろうか。
 よって今後の世界は、再び分裂・離散の時期に入るものと予想されるので、ただ外観・数量的に大きいだけが良いことではなく、大小の自然石を巧みな乱積みした城壁の方が堅牢なように、むしろその内容や質が重視される時代になろう。
 したがって、この世界変動のリスクを予防・回避に当たっても、先ず第1に、変化の表層的現象だけを見た小手先の対症策より、物事の本質、真理や自然界の摂理、好ましい政治や経済、事業活動の原点に立ち帰った根本的な意識やシステムの構造改革に取り組み必要がある。
 第2に、世界と自国の現況、その問題点と原因を招来予測も含めて正しく認知し、それに基づく的確な判断をし、適切な先取りの対応策を講じる必要がある。この現状と原因の認識を誤れば、その後の判断も行動も誤り、良い結果を得ることは不可能となる。
 第3には、現況を正しく認識するためにも、過去の残滓をきれいに清算し、一旦は経済の収縮・停滞もあろうが、功を焦らず「屈を以って伸と成す」の気構えで、将来の飛躍に備える基盤固めと、能力や技術などのエネルギー蓄積に努めること。
 第4に、地球全体としての需要と供給の関係が、供給過剰と不足の両者があらゆる分野で混在するミスマッチの時代になったのだから、従来の豊かさや幸福に対する価値観を刷新し、お互いに欲求を慎み、謙虚に身の程を知り、地球自然と調和的に共存・共栄するという節度を重んじ、競争より協調、独占より互譲の精神で、爛熟反転の頂点に至る前に、早めにブレーキダウンをする自律心と勇気も肝要である。
 第5に、目的と手段とを履き違えないこと。世界の平和と安全・安定、最大多数者の最大幸福の実現こそが政治や経済の目的であり、その目的達成のための手段が税制や福祉政策、金融政策、経済成長、企業活動などであり、その「志が利」に向くことは国家衰退、社会荒廃の兆しであり、「財貨多きは徳傷(やぶ)る」邪道を歩むこととなる。
 第6には、優越的環境や立場にあり自由競争での勝利者となり安い先進大国の自由賛美の甘い言葉や煽りに乗せられることなく、各国それぞれなりの状況や力量に応じて、独自の適切な道を選択し堅実な歩を進めること。特定国の独占的支配で世界が国際統一基準で画一・均質化することは、地球社会の潤いや健全化・活性化のためにも、決して良いことではない。
 このM椎政治や経済、事業経営の原点は、あくまでも「経世救民」、「民の竃は潤いにけり」にあり、エコノミーの語源も「良い家庭管理」を意味するのだから、一部の大企業や富裕者優遇による財物的豊かさの追求だけでなく、富の再配分の適正さを重視し、「物心一如」の「民衆主義、知本主義、市場より世情本位主義」国家への再構築で、世界のモデルとなることを目指したいものである。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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