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戦前・戦後日本外交姿勢の推移

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公開日付:2014.09.12

 近年、隣国中国や韓国からの領土・領海域を巡る一方的な挑発的行為への対抗策として、安倍総理が強気で憲法の条文拡大解釈による自主防衛体制の強化を進めようとしていることに対し、改めて日本の外交・軍事態勢が国の内外から問われるようになってきたが、歴史的事実から冷静に見て、果たしてわが国は本当に、中国や韓国などが喧伝するような闘争的・侵略的な民族性の国家であったのだろうかを客観的に検証してみよう。

(1)開国から戦前までの伝統的な日本外交・軍事の基本姿勢と推移

 地理的条件や気候、食糧事情などの環境が各民族の人格形成に大きな影響を及ぼすが、元来わが国は、地政学的に大陸とは海を挟んで隔たる、大洋に浮かぶ南北に細長い地形の列島国で、概して北半球の温暖な気候帯に位置し、四季折々の気象変化に富むため、天災も多いが山海の自然の恵みを受け、当時の交通手段未発達さや人口密度などから、自給自足が可能で、周辺諸国から進攻される恐れもなかったので、穏やかで慎み深い国民性を有し、昔の国名「大和」が示すように、弥生時代以来ずっと、万世一系の同族世襲を保持してきた貴種族である天皇家を国家統合の象徴として、全世界の平和と、それを通じた国内の治安・国民生活の安寧・幸福の実現を希求し、平穏な安住を志向する単一の農耕民族を主体に構成され、渡来人や仏教の受け入れ、遣唐使の派遣など、大陸諸国との友好的な交流もあり、他国に進攻して領土の拡大を企図する野心を抱かず、仏教や儒教の長所も採り入れつつ「和魂漢才」と「和を以って貴しとなす」を根本的信条としてきた。
 このあたりが、荒涼たる大陸の地続きといった厳しい環境下で、元来は西アジアの高原地帯から移住したインド・ヨーロッパ系ゲルマン民族や北方アングロサクソン系など雑多な民族が混在し、その広大な地域を、縦横に走り回れる乗馬の機動性を活かした武力で奪い合い、一定の所に安住せず常に豊饒な草地を求めてに移動し続けて止まず、それを阻止しようとする先住少数原住民を放遂しながら遊牧生活をしてきた、闘争的な狩猟民族、北方高原型騎馬民族の西欧米諸国や、「兵は詭道なり」として憚らない漢民族を主体とする中国などとは根本的に民族性を異とする。
 日本は昔から自主・自立の孤高を保ってきた島国とはいえ、周辺他国の動向には全く無関心な、頑固で閉鎖的、排他的な攘夷といった孤立主義というのではなく、海洋交易手段が進歩し活発になるにつれ、わが国もそれら諸国と友好や交流には留意し、近隣の中国、韓国だけでなく東南アジア、西アジア諸国の影響を受けることも次第に多くなり、豊臣秀吉時代のキリシタン布教禁止令、江戸幕府時代の厳格な鎖国政策の時代においても、長崎、神戸、横浜など一部特定地区に限定するとはいえ、海外情報の入手や、他国の優れた文明を採り入れ習得するための窓口だけは完全に閉ざさずに開き、威圧的・侵略的でない友好的な国の有能な帰化人や僧侶の受け入れ、わが国能吏の海外派遣(遣唐使・遣隋使など)、海外留学、視察、公益(ご朱印貿易)、居留許可(山田長政のタイ国在住)などという柔軟な方針を概ね貫いてきた。
 しかしわが国は本来、仏教的な人間性善説に立脚する上に、航海技術が未発達であった頃には、この大洋が自然の壕となって国土を守ってくれたので、元寇の役などはあったが、概して他国から侵攻を受けて怯えることもなく平和が維持されてきたので、陸続きで近隣諸国との領土紛争や、多種民族の混合からの対立が頻繁で、人間性悪説に立たざるを得なかったキリスト教国やイスラム教国、中国などの大陸諸国と対比すると、良い意味での刺激や影響を受けることも少なく、従って外交折衝や謀略の巧妙さや、かけ引きの狡猾さ、スパイや行為や情宣活動といった面で劣り、平素からの危機管理意識が鈍いともいえる。
 やがてわが国も戦国時代中期になると、西欧諸国が大航海時代を迎えて世界に雄飛して、アジアやオセアニア、中南米大陸諸国の植民地化を進め、富を収奪して大発展し、織田信長の時代には日本にもキリスト教宣教師が布教のために来航するようになり、独自の神道、従来のインド仏教や中国の儒教に加えて、キリスト教も布教され、鉄砲の伝来などで西欧文明にも触れることが多くなってきた。
 ちなみに、この時代に大活躍した北欧諸国のバイキングや、マゼラン、コロンブス、マルコポーロ、宣教師フランシスコ・ザビエルなどは、美化された勝者の歴史ではロマンティックに勇敢な海の戦士とか、新大陸発見の探検家、東方見聞録を著した旅行好きな知識人、神の愛を説く平和の使者などとされえいるが、いずれも権力者を後ろ盾とした他国侵略、植民地化による領土拡大のための先兵、自己の名誉心と権益、富や資源収奪、宗教の布教を隠れ蓑とした事前調査や謀略の諜報活動のお抱え御用商人、海賊、単なる冒険家の怪我の功名の成果であったというのが実像だったり、決して未知の世界の学術的探求調査に貢献した学者といったものではなかったのだ。
 だからその実像を疑い見抜いて警戒心を抱いた豊臣秀吉は、東南諸国のように日本が彼らの植民知化の舞台とならないように先手を打って、カソリック系キリシタンの布教禁止と追放を実施し、江戸幕府もこれを引継ぎ、3代徳川家光が鎖国令を出して諸外国船の来日、交易を禁じ、その後、プロテスタント系で侵略意識がないオランダに限って、長崎の出島での友好的通商権を許認し、西洋文明との接点としたので、日本では蘭学ブームが起き、医学など多くの先進的知識や技術を取得したのである。
 わが国でも戦国時代や江渡幕府時代には、諜報活動や謀略を重視した北条早雲、斎藤道三、武田信玄、これに従事する専門家を隠密、陰者、忍者、お庭番などと称して活用した豊臣秀吉や徳川家康、徳川吉宗などといった将軍もいたが、これらは中国の古典兵法書から学んだ、生死を賭けた勝つためには手段を選ばずの止むを得ない秘策のずる賢い戦法とされ、また毛利元就のようなお家の存続第一で、「勝ち目のない戦いに意地で突き進むことは愚かなこと。我に勝つ自信と勝てる見込みがない場合には、隠忍自重の服従も止むなし」といったような覚めた態度は、卑怯で弱気な日和見主義だと見なされ、あまりフエアなものと評価されないきらいがあり、第2次世界大戦の敗戦以前までの日本には伝統的に、勝ち負けや利害損得抜きの大義名分の真っ向勝負こそが、「男は負けるとわかっていても、闘うべきときがある」などと賞賛され、たとえそれで負けても判官贔屓で、潔い日本の外交や武士の正道と歓迎される風潮が根底にあったといえよう。

(2)歴史家トインビーの「ゼロット主義」と「ヘロデ主義」の概念

 人類の歴史で戦争は絶えたことがなく、社会不満の捌け口、不安の解消策、混迷した社会秩序の浄化と再構築策などといった面もあろうが、いずれにしろ勝敗どちらの側にとっても物理的・経済的・人的損失が伴うので好ましいことではなく、外交での対話で予防・回避するにこしたことはないが、歴史的に見ると、世界規模の大きな戦争は幸いにまだ体験回数が少ないので、一定の周期を何年立証することは出来ないが、ある程度の周期性をもって、毎回同じように国際的環境条件や財物的文明繁栄の反面での精神的文明荒廃期という経済・社会的情勢の下で、その前の戦争の苦難や悲劇を体験しなかった世代の指導者の自負心とフアッショ的な煽動により起こされ、仲間集団の結成により戦争は拡大化するといえそうだが、奇しくも本年は、第1次世界大戦の勃発から100年目、第2次世界大戦の勃発から70年余、朝鮮半島の動乱を機に東西冷戦が激化してから60年余ということで、現代の国際的環境条件や経済・社会情勢も、世界政治や経済を主導する国家や産業などが新旧勢力の主役交代期にあること、世界秩序の混迷と再構築模索期、イデオロギーや宗教、経済システム、幸福の価値観の抜本的な見直し気運、従来路線の大転換期など、更にはわが国の安倍総理も含めて、乱世に歓迎されがちな上記のような独裁的タイプの指導者が台頭していることなど、当時と類似している点が多いので要注意であり、この際全世界の各国が、自国のエゴを捨て、グローバルな見地からの平和な世界の再構築に、武力より外交の対話により冷静且つ慎重に対応すべきといえよう。
 そういった面から、歴史学者A・J・トインビーが、人類史における諸文明の遭遇を論じた「歴史の研究(1961年発刊、五百鬼頭真氏訳、編集)」の中で想起し提唱された二つの概念「ゼロット(熱狂派)主義」と「ヘロデ主義」が参考となるのでご紹介しておこう。これはトインビーが、「ある国の文明が有力な外部文明から挑戦を受けた際、どう対応するかを、挑戦を受けた側の対応として、古代ローマ文明に対するユダヤの対応を例にして、二つの典型として示したもの」で、幕末の黒船来航で欧米の近代文明に接した日本の伝統文明が、どのような反応を示し、どう対応したか、また第2次世界大戦の敗戦で戦勝国アメリカ流に染め替えられた日本が、どう反応し対応したかなどと対比すると興味深く、考えさせら、学ぶことが多い。
 「ゼロット主義(熱狂派)」とは、「溢れんばかりの民族的なプライドに突き動かされて、勝ち目のない徹底抗戦に走り、集団自決をして果てるといった行動態様」で、近代日本の歴史についていえば、幕末に外国が要求する開国を拒否し、通商交渉に応じようとせず外国船焼き討ちなどをした攘夷派、第2次世界大戦期における外交音痴で頑迷な陸軍の、国土決戦や一億総玉砕を主張した徹底抗戦派などの行動態様で、これで日本は敗戦の悲劇を招くこととなった。
今でも、西洋文明を代表する超大国アメリカに対する「反米ナショナリズム」の北朝鮮や、中国や韓国、ロシアの一方的な領土主張に対し、軍事強化、自衛隊の戦闘出動容認などを叫び虚勢を張るわが国の右派勢力、アメリカでも、輸出競争で劣勢に立たされた時、日本憎しとその製品のボイコット運動や自動車の叩き壊しをした過激派などで、こういった熱狂的な行動態様は、いつでも、何処にでも、大なり小なり常に存在する。
 この行動態様は、愛国心の発露や強気なプラス発想といえる面もあろうが、問題点は、冷静な事実に基づく合理的判断力を欠き、やや自己催眠・自己陶酔的であることと、その熱狂的煽動が周囲の軽挙妄動しやすい民衆にも波及し、大衆運動として暴発し、理知的なコントロールが出来なくなり、ヒットラーが率いたナチスドイツのように自己破滅の極限にまで突っ走りかねない恐ろしさがあることである。
 これに対する「ヘロデ主義」とは、ユダヤ国(現イスラエル)の始祖であったヘロデ王が、大国ローマ軍の威圧的攻勢を受けたとき、これに軍事的に抵抗することがユダヤ民族絶滅の悲劇に帰結することを洞察し、外交交渉で、国を開いてローマの支配を受忍することを決意したが、その際、ローマの最高権力の下で、自分がローマの属国ユダヤの王として留まり、間接統治することを条件として認めさせたのだが、その意図が、「強大な外部文明に表立って逆らわず、その力の秘密を内側から学びとり、長期的に外部文明を消化吸収して克服すること」にあったことに由来する行動態様である。
 この結果、ユダヤ王国は幾多の屈辱と辛酸もなめたが、近世、資本主義の勃興とと共に実力を蓄え、これが現代に至っても、有能なユダヤ人が世界中に散らばって、表立っては目立たないように振舞いながらも、裏底では暗黙で民族が結束し、隠然たる勢力となって超大国アメリカのみならず、世界の経済・金融市場・情報・資源メジャー、食料資源、金やダイアモンド市場などの主要分野で、大きな主導性と影響力を持ち、彼らが世界の富の約4割を支配しているとさえ言われるようになったのである。
 このヘロデ主義の行動態様は日本でも、戦後の国家再興方針を示した「吉田茂首相のドクトリン(政治・外交での主義や原則)」として選択・採用され、占領軍アメリカの支配に忍従しながらも、日本人としての矜持を保ち、その伝統的文明の長所を温存しつつも、アメリカ流のディベートを通じた自由・民衆主義、科学的合理性の事業経営、最先端技術、教育システム、身分制度の廃止など多くのことを謙虚に学びとって、その後の世界が目を見張る奇跡の早期復興と高度成長の原動力となり、結果として、世界屈指の経済大国となりえたのである。
 戦前の日本の沖縄併合、旧満州(現中国の東北地域)の独立支援、台湾や朝鮮半島の併合なども、決して欧米の悪い面を踏襲し、日本もその亜流の武力的威圧で、遅ればせながら植民地によるアジアの切り取り合戦に参加することだけを企図したものではなく、善意で解釈してもらえば、本来的には、強大な欧米の文明の侵攻に柔軟に対抗する手段として、アジアの後進的弱小国を八紘一宇の精神で結束し、東洋文明を守るために、日本がヘロデ主義の主導国としてまとめ役を買ってでたものであったのだが、後半から軍部の実質的支配力が強まって以来は漸次、全く逆の「ゼロット主義」的行動に転じ、誤った道に突き進むこととなって、結末は、勝てば官軍負ければ賊軍で、狡猾な外交力の戦勝国だけで構成された軍事裁判で、日本だけが全て悪のアジア侵略戦争だと一方的に決め付けられたことも否めない。
 しかしながら、日本の列強国との戦いでの奮戦と敗戦の犠牲の結果、欧米諸国の植民地支配に忍従してきた東南アジア諸国が勇気づけられ、その支配から脱して解放され、独立し得た国も多かったのではなかろうか。
 相手国の悪い面だけ誇張して追求し、内政の不満を他国に向けさせるために、事実を曲げて仮想敵国に仕立て上げることほど卑怯で愚劣な外交手法はない。

(3)敗戦後の日本の外交姿勢と今後の課題

 江戸時代末期になると幕府の権威も衰微し、その機を狙って諸外国艦船の日本近海出没が頻発、開国・通商の強要を受けて、尊皇攘夷か開国かで国内世論が二分し、内政は大混乱と激動・転換の時期を迎えたが、大政奉還で徳川幕府が崩壊し、明治維新の新政治体制となってからの日本は、欧米使節団の派遣や先進主要国との友好通商条約締結を進めるなど、思い切った方針と進路の転換を図り、当時の先進国に見習い追いつけと富国強兵、殖産振興、工業立国に努め、欧米流の近代国家への再構築を志向することとなり、各国それぞれの長所を謙虚に学習し、議会制度や憲法、皇室制度、資本主義経済システムや金融・株式市場制度、海軍などはイギリス、陸軍体制や社交のマナー、芸術はフランス、音楽や美術はイタリア、法律制度や医学、科学・化学技術はドイツ、自由主義制度や身分制のない平等で活発な市民生活態様などはアメリカからといったように貪欲に吸収し、急速な進化を見た。
 しかしその後、明治・大正年代にわたり、国力の増強と経済成長を得た日本であったが、当初は「和魂洋才」のモットーを忠実に実践してきたが、財物的に豊かになるにつれ、欧米風の制度や文明の「洋才」だけを表層的に真似た所謂「西洋かぶれ」の近代化(禍)となり、伝統的な平和主義、謙譲の精神、互恵互助、仁愛の仏教心、公徳心などの「和魂」や「士魂商才」を亡失するようになり、列強の仲間入りを果たしたと自惚れ、地政的環境も無視し、狩猟民族型の力に頼る優越性や覇権欲といった悪い野心を抱くようになり、他国との戦争や植民地化競争にも参加し、日清・日露戦争などで勝利を得ることもあったが、それが新興国日本の急速な台頭を疎ましく感じる先進欧米諸国の不興を喚起し、その弱体を画策した日本叩き外交戦略の罠に嵌めら、挙句に第2次世界大戦に引きずり込まれて、原爆被災、敗戦という多大な損失と悲劇を招くこととなった。
 敗戦後の日本は、これを謙虚に反省し、戦勝占領国アメリカの支配に甘んじることとなったが、再び良識を覚醒させて「ヘロデ主義」に回帰し、不戦の平和主義、各国との友好的外交と交易、自由民主主義経済・文化国家としての再興を目指して頑張り、世界の経済大国の地位に復帰することとなった。このように日本は、トインビーの2概念を時代により使い分け、左右に振れ動きつつ変転・進歩してきた。
 ところがここに来て、独占的な超大国アメリカの権威衰退、新興中国の急速な政治・軍事・経済大国としての台頭など、世界情勢に大きな変動があり、領土問題などでの国際紛争が頻発するに至り、わが国も外交・軍事的対抗力を強めようと風潮が今再び燃え始めているが、安倍総理には、改めて過去の失敗・成功体験や歴史から謙虚に学び直し、目先の対応だけでなく、世界的視野と長期低展望に立って、政治・外交は軍事・経済に優先するので、日本国の将来の再興隆の国際貢献への進路を誤らないような、巧みな「和魂多才」の政治・外交の舵取りを期待して止まない。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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