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乱世を生きる名君の資質条件

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公開日付:2014.08.29

(1)暗雲が立ち込め始めた安倍政権

 万物は流転するといわれるが、国民の期待を背負い、日本の未来に希望を抱かせるとしたアベノミクスを掲げ、議会の過半数以上を制する選挙での大勝利を収め、絶対安定政権を確保したかに見えた安倍内閣だが、発足当初より、「危険な賭けの安倍のリスク」であり、「安倍のみがクスッとほくそ笑むアベノミクス」でしかなく、肝心の第3の矢である経済成長の具体的施策の妥当性と、その成果次第に今後の命運がかかるが、目先の人気取りに拘った劇薬投与の景気刺激策だけで、日本の将来を遠望した国家経済体質の脆弱性が根本的に改善されるという、そんな魔法のような手立てはなく、むしろ、その後の反動と副作用の方が怖いことを危惧し、糠喜びで浮かれることなく、今後の動向を一抹の慎重さで厳しく見守り、与党独占的に勝たせ過ぎた弊害、多数に奢る暴走を抑制すべきだと警告を発してきた。
 案の定、着手後2年を過ぎても未だに、点火された種火が実体経済に点火して燃え盛らないどころか、一向に経済が好転しないままで立ち往生し、原子力発電所の再稼働化だけが着々と画策され、貧富格差が増すばかりとなったので、ここにきて支持率が非支持率を下回るまでに急激に低下するなど、まさに予見通りの危なかったしい様相を呈するようになってきた。
 安倍総理もそれを感知し、今秋初にも内閣大改造に取り組むことを決意し、自民・公明与党内は、早くも経済再建や東日本の復興促進より、組閣人事への関心一色となってきたが、元来、新内閣の発足に当たっては、最精鋭の適材適所配置の組閣をしたと誇示してきたはずであり、それを成果を見ない途中で改めようとすることは、信頼の揺らぎやイメージダウン、保身的改造反対組みと改善賛成派との対立で党内不和が増幅することとなり、とりわけ安倍内閣では、今次の選挙での大勝に貢献したと自認しながら論功行賞には浴さず、今回の改造を機会に入閣をと待望する議員が、改造入れ替え予定者数の数倍も上回っているので、その選任から洩れた議員の造反は必至であり、また過去の例でも、改造を重ねるほど内閣が強化されないで逆に弱体化し自滅的衰微に向かうというのが通例であった。
 いずれにせよこの秋は国内・外共に、情勢の変動が一層激しくなろうが、この際、歴史を顧みて、乱世を生きた名君・名将とはどういうタイプの人物で、どのように対処して生き抜いてきたかを参考として学び直すことも意義があろう。

(2)わが国戦国動乱時代の現代的評価

 戦争とは国家間の武力闘争をいい、その勝ち負けで紛争の決着をつけようとする行為だが、それに至る過程では必ずお 互いに、兵員の死傷や構築物の破壊などといった物的・経済的な被害や損失が伴うので、通常、理性や感情的には、どんな理由や事情があっても好ましいことではないとされ、争いごとのない平和が大切だとされるが、現実には人類世界の歴史上で、規模の大小や期間の長短などの差はあれ、戦争が絶えたことがないことも事実であり、それにはそれなりの一理もあろう。
 それゆえに現代の国際法でも、当事国両者間での戦争回避の事前話し合いを重ねても決着がつかず、しかも双方にそれなりの妥当な理由が認められた場合には、国と国との名誉ある決闘として、仲裁国や国連などの機関を定めた上で、一定制約内での戦争をする権利までは否定されずに、自衛権として認められているのである。
 ただし、国際条約で定められた戦闘法規に違反する行為、例えば事前通告や話し合いの努力もなく、一方的な自己主張での現状変更の領地拡大侵略、降伏者の殺傷や虐待、無防備都市や非戦闘子女、医療機関などへの無差別攻撃、毒ガスなど大量虐殺的化学兵器の使用、必要以上に過酷な非人道的残虐行為、民族の完全殲滅的殺戮(ジェノサイド、皆殺し)などは認められず禁止されており、これに違反した場合は戦争犯罪者として罰せられることとなっている。
 確かに戦争には、醜く厳しい大量破壊といった好ましくない面があるが、反面、鬱積した不満の解消・浄化作用(ガス抜き効果)や、平和な生活や物質的豊かさに慣れて精神的にも怠惰になった人心を覚醒させる効果、大量破壊・消滅した兵器や構築物などの補給のために必要な効率的大量再生産や技術やシステムを生み出すこと、特定名門の独裁や同族世襲による弊害をなくし、実力本位の下剋上で、時代に即した新人材を輩出させること、独裁的権力者の過激な行動を抑制・排除しえること、これらを通じた、国家や社会の活力の喚起させる効果など、必要悪の功罪両面があることも否めない。
 わが国の戦国時代においても全くこれと同様に、幾多の名将や、新技術や文化を輩出し、それが近代国家への先鞭をつけたといえる。
 但し、特定国や権力者のエゴや私的な野心から、他国を事実を曲げて誹謗し、陥れる謀略を仕掛け、その覇権を拡大しようといった卑劣な戦争は、絶対に許されるものではなく、全世界の平和や全人類への挑戦として、厳しく排除され、罰せられるべきである。

(3)乱世を生きる名君・名将の資質条件

 日本人が好んで生き様の目標としたい名君・名将像として、よく「あなたは創造的で独断専行の織田信長型か、知略や謀略に長けて如才のない、立身出世の豊臣秀吉型か、実力を心の中に秘め、忍耐強くしぶとく天下を狙った徳川家康型か?」などといわれるが、一概に誰こそが最高の名君といった決め付けは困難であり、実際これぞワンベストの名将といった者は存在せず、現存する古文書や伝説に基づく人物像といっても、敗者の歴史は賊軍として抹殺され、勝者の歴史だけが都合よく塗り替えられ美化され拡張されて伝えられているというのが真実である。
 従って、それぞれなりの人間としての長所・短所を有していても、その時代に相応しい才能を発揮し得た者こそが、その時代における名統率指導者であるといえ、時代や環境条件と共に期待される人材像も変化すべきものといえよう。
 故に、織田信長が破滅的創造により永年続いた戦乱の世を終結させ、天下泰平の世を希求する全国民の心を巧みに動かし、それに向かう気運を喚起して、武力による全国統一への道筋が拓かれ、それを引き継ぎつつ、補佐人材の能力活用とお金の扱い方に長けた豊臣秀吉の知略や調略により、全国平定の道の整備が進められた、更にそれを引き継ぎ、自分の出番を辛抱強く満を持して待ち受けていた徳川家康が、信長と秀吉の長所を取り入れ、改めるべきは改めて、立派な道に舗装して仕上げ、戦乱の世を完全に終結させて、以降、世界的にも稀有な例とされる260年余の平和の持続と秩序正しい江戸幕府体制の時代の基礎を築き上げたのであり、3人それぞれの持ち味を見事に活かした合作の成果といえよう。
 従って、たとえ「猛将、勇将でも、知将、仁徳の将にあらざれば、真の名君・名将たり得ず」ということになり、そういった意味からは、勇猛な柴田勝家、藤堂高虎、小才に長けた知性と処世の術はあっても仁義や仁徳に欠けた明智光秀、石田三成ではその器にあらずということになる。
 太閤秀吉がある時腹心の部下に、「俺の死後、天下を掌握する人物は誰だと思うか」と問いかけ、部下達が、それぞれ「徳川家康、前田利家では?」などときまざまな武将の名を上げたのに対して、意外にも秀吉は、「それは黒田官兵衛孝高だ」と腹心の参謀役の名を上げたので、皆は不審そうな顔をしたが、「官兵衛はお前らの想像以上に素晴らしく、俺も驚くほど有能で読みも深く、今は信頼し得るが、自分の死後はどうなるか、あいつは末恐ろしい能力を秘めた人物である」といって皆を唖然とさせたが、それゆえに晩年はそれを警戒し、家督を継いだ黒田長政を筑前の城主として敬遠し、それをいち早く察知した孝高も、若くして家督を嫡男に譲って隠居し、剃髪して如水と号し、中枢の側近参謀の地位から潔く去って、以後は中央政権については口を出さず、領地筑前52万石の治世と福岡の町づくりの補佐役に徹してお家の安泰を図ったのであり、流石の慧眼といえよう。
 その点徳川家康は、戦国3名将の中で、孔子が名将の必須要件と指摘した「文・武・財・心」、「知・勇・仁・義・信・厳・礼」の諸要素をバランス良く具備しており、従って戦国時代の最後になるべくして天下泰平の総仕上げ役になったといえよう。
 江戸幕府15代の将軍の治世能力や器量を比較すると、3代目以降は実質的には筆頭家老任せの治世といえ、将軍は彼らの報告を聞いて承認・裁決の署名をするだけの存在でしかなく、歴代将軍の中には、居眠りながら報告を聞きこっくりとしたために家臣を切腹させたというお粗末君もいたというが、大部分は、忠実で信頼できる有能な上級家臣に支えられて、自らは中奥(将軍の居所)で午前7時頃に起床し、洗面と頭髪を整えてから、お任せメニューの朝食を済ませ、その後大奥に入って先祖の仏壇を拝み、正装に着替え、午前中は表御殿(公的執務棟)で過ごし、その間、武道練習といっても刀の素振りを数回形式的に行うだけ、簡単な昼食後の午後には、特別な重要決済事項がなければ、約2時間ほど決済署名や部下の報告を聞くだけという簡単な執務をして引き上げ、夜食では好きな料理を一品だけ注文できるが、平素は一汁五惣菜程度の案外質素な食事を済ませ、後はひたすら後継の子作りに励むという単調な生活を繰り返しながら、大過なく無難に職務をこなしてきたのである。
 それでも、徳川政権は安泰で、そのバックボーンとなる文武両道、公武連携の運営基本理念や方針、行政手法を率先垂範視、それを末代まで代々忠実に引き継ぎ遵守させるまでに浸透させたのだから、初代家康の先見的な深慮と手腕の影響力がいかに偉大で優れていたかが覗える。
 その家康に次ぎ合格点と評し得る将軍は、8代将軍徳川吉宗であろう。彼は家康の原点に立ち帰った治世に徹し、享保の大改革を実施して、元禄バブルの破綻を予防し、幕府財政の建て直しを図るため、先ず①現況の実態と国力の把握に尽力し、②その上で積極的な殖産振興による産業経済の活性化と潜在発展力の引き出しを図り、大岡越前など③出自や家格無用の実力人材を抜擢登用し、一方では自らも粗末な服装で執務するなど④勤勉節約を率先垂範し、⑤華美に過ぎて墜落した大奥の粛清・人員整理にも、再活用の途を配慮した上で着手したり、⑥目安箱を創設して民衆の声にも耳を傾け、⑦町火消し制度の導入で町民にも行政への参加の道を開き、⑧地域活性化や新田開発、⑨上米制度(税制)の見直し、⑩参勤交代制度の簡素化を図るなどの目新しい施策を創案・実行する大活躍ぶりで、江戸幕府中興の祖と称されようになったが、これほどの豊富な業績を残した割には、将軍在任期間は29年と案外に短期で、後継の家重にその地位を譲り、その後見役として育成・補佐に努めるといったように出処進退も潔かった。
 それには、彼は御三家の第3位であった紀州徳川家の次男として生まれ育ったので、将軍の後継候補者になれるなどとは思いもよらず、紀州藩の後継さえも到底不可能な立場にあったので、幼少期より城外で起居させるれるという境遇に置かれて、嫡男とは段違いの扱い方をされ、隠忍・屈辱の地位に甘んじる苦渋も味わったが、一方、比較的自由に城下町をうろつき歩き、気軽に庶民とも交わる機会を得たので、その頃の苦労が彼を成長させ、やがて兄の突然の早死で紀州藩主に地位が転がり込み、更にその後、徳川幕府の宗家の後継者不在から推挙されて一躍そのトップの将軍職に就く幸運を得たのだが、その若い時代の苦労体験が、将軍としての治世でも大いに役立ったといえ、やはり人は、「自分が悩み苦しんできてこそ、初めて他人や弱者。使われる者の悩みや苦労もわかるようになる」もの、「涙してパンを食した者でないと、本当のパンの美味しさは解らない」こと、「人は成功や楽しかった体験より、失敗や苦労をした体験から学ぶことの方が多く、それが実際に役立つ知恵として有効でる」といえ、現代のような激動と変化のテンポが速い時代に、「大過なく無難に職務を全うし得た」などという能天気なトップは、何の改革にも、積極的な企業進化にも着手・貢献しなかったということではなかろうか。
 8代吉宗に次ぐまずまず及第点クラスは、初代家康の忠実な継承者2代目秀忠、春日局の訓導を受けた3代家光、書物学問好きだが、生類憐みの令という悪法で有名な5代綱吉の3人だが、これらは有能な腹心の補佐に恵まれた結果といえる。
 功罪が両極端に存在して評価が分かれ、その真価が掴み難いのが、在籍期間も一年弱と短く、将軍としてただ一度も自分の本拠である江戸城に足を踏み入れたことがなかったが、歴史で語られることは多い、最後の将軍となった15代徳川慶喜である。彼は、書物学問は優秀で直観的先見力もあるが、インテリなため変心・変節が早く、良き補佐役や家臣、民衆を味方につける器量や魅力に欠けたことが難点で、まさに孤高の気まぐれ殿様、大政奉還で幕府崩壊、螯居後もその習性は相変わらずで隠居所を転々と移住し、明治期に東京巣鴨に構えた広大な梅林に囲まれた隠居所も、鉄道の開通で騒音がうるさいと僅か3年足らずでささと手放し移転してしまった。
その他の将軍は採り上げるに及ばぬ評価で、特に第11代将軍家斉などは、蝦夷地など日本の沿海に外国艦船が頻繁に出没するようになり、幕府としても北方警備や国土防衛に注力し、伊能忠敬に全国地図の作成を、間宮林蔵に北方探索を命じ、江戸湾に砲台を設置するなどしている時期に、治世は全て家老任せで、自分は妻妾25人、産ませた子供が56人と最多であったことだけが有名なのんきな殿様、江戸幕府時代で最も恵まれた時期を自由奔放に生きた最後の将軍であったといえるが、その多くの子供たちの始末婚姻先を地方各藩に求めて押し付けた結果、幕府や地方各藩の財政は急速に疲弊し、以降、徳川幕府は加速度的に衰微することになったのであるが、リーダーはこのようであってはならないという悪例であろう。
 江戸幕府の歴代徳川将軍以外の名君・名将としては、乱世と平時とでは期待される人物像や能力が異なって当然であり、下剋上でも力任せに覇権の拡大を競い合う戦乱時代では、「兵は脆道なり」ともいわれるので、あまりにも知的論理観があって、道徳・仁義・正義に拘り、純粋で良心的、温厚過ぎるといった世俗にいう「仁徳のある良い人」や「インテリ」は、争乱を好まない傾向が強いので向かず、平時には要求される文治型タイプといえるが、争乱初期で、勝つためには手段を選ばず、恥じも外聞も失敗も恐れないといった、多少の強引さや冷酷さ、進歩・向上への野心や、狡猾さ、策略や謀略、先手必勝の奇襲攻撃などは武闘の正当な常套手段でいとわないというタイプがリーダーとして期待され、またそうでないと勝ち上がれないが、北条早雲、伊達正宗、武田信玄、織田信長などがこのタイプ、平時の文治タイプでは、会津藩の始祖保科正行、米沢藩を見事に再生された上杉鷹山などである。
 しかしこういった乱時と平時の両面に要求される能力を一人で兼備しているような逸材は稀で、徳川家康がこれに近い存在であった。そこで自分に欠けている分野をカバーしてくれ、さりとて下剋上でその地位を奪おうとする野心を持たず、陰の参謀に徹するといった良き補佐役の存在が重要になるが、このような奇特な名参謀役の人材もまた稀であり、こういった優れたトップと有能な補佐役の名コンビに恵まれたものが成功する。組織はただ孤独では、決してその能力以上に立派に発展せず、皆の協力で成り立つのだが、ちょっと成功すれば、それは社長である自分一人の才覚と自惚れて功績を独占し、名補佐役を疎ましい存在と敬遠、地位を奪われないように放遂までするといった狭量な経営者が日本には多い中で、創業の苦難時以来信頼しあった名コンビで発展したのが本田技研、ソニー、松下電器などであった。
 古代中国の名宰相呂新吾は、有能人材を見抜くポイントとして、「①大事・難事に担当を看る、②順境・逆境に襟度を看る、③群行・群止に識見を看る、④臨喜・臨怒に寛容を看る、⑤得意・失意に修養を看る、⑥忙時・閑時に節度を看る」としており、巨大な三菱グループの中で人事の名人といわれ旧三菱銀行の名頭取であった田実渉氏は、重要人材の登用に当たっては、過去実績や現能力より、未知の可能性を秘めているかどうかを重視し、自分自身が直接会って会話をして心の声を生で聴き、相手の目と、歩く後姿とテンポを観察して判断し、自分好みの人材に育てあげることが肝要だと述べておられた。良き企業人材は、進んで厳選して求め、良きリーダーの下こそ育つものともいえようか。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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