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新自由資本・市場主義経済の要点

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公開日付:2014.02.21

(1)経済活動の概念と経済学発展の歴史的経緯

経済活動という概念の発生と進展の経緯を歴史的に振り返ってみると、古代の原始生活時代には、もちろん現代のようなまとまった経済という概念や手法はなく、人々は動物的本能として自然界での自活の智恵を必然的に身につけ、生存のための狩猟・採取生活の弱肉強食で自給自足を図り、その能力がないものは生存に必要な量の食糧を獲得し得ず、動物界のように自然淘汰を余儀なくされていた。
次いで、単独行動より家族や他者が協力し合うことが、より多くの獲物を効率的に得られることに気づき集団行動をとるようになった。
しかし人にはそれぞれなりの得手と不得手があるので、その能力に応じ、獲物の鳥獣を追い詰める勢子、その捕獲を得意とする者、獲物の解体や調理を特技とする者などといった分担作業と、それをその役割の貢献度に応じて分配するというような得手と得手との物々交換をするようになった。
やがて、内陸部で生活する者と沿岸部で生活する者とでは、地勢的に自ずと収穫物に差が出るし、鳥獣の捕獲や魚釣りなど各自による特技の差もあるので、お互いの得手の産物を交換をし合うという物々交換の智恵、更には、一定の限られた地域内でも交換で需要と供給が満たされ、余剰が生じるようになると、それをより多くの広範囲の人にも分配し、山の幸の木の実や茸と海の幸の魚介類や塩と交換するようになり、それを専門的に担当する仲介や販売という役割が新たに加わり、特定日時に取引する「○○市(いち)」や、一定の場所で常時交易が可能な「常設市場」が自然発生的に生じ、移動しながら販売する「外交訪問販売」の智恵も生じた。
こういった「交易」という社会システムは、わが国でも16世紀頃から織田信長の「楽市楽座」でコメ経済から商業経済概念への進展で見受けられる。
そうなると、より多くの物を運搬するのに便利な牛・馬車や船舶輸送といった流通手段と物流専門担当制が発生し、その取引決済の媒体として、石貨やコメから持ち運びに便利な小さくて価値観のある貝貨、木片貨、金・銀・銅などの金属貨幣、紙幣や藩札、その両替を専業とする貨幣経済、金融経済、コメ経済から商業経済、これが進化し資本主義経済、社会・共産主義経済という概念が芽生え、それにつれて事業運営形態も、個人的な生業から家内工業、職人集団の組織的運営、相互会社、株式会社などへと進歩・発展し、現在では、資本主義、自由主義、市場主義、国際的解放経済(グローバル化)、投資金融主義経済が先進性のある世界経済の主流をなすものとなって支配している。
経済的取引が一段と活発化して高度に発展し、資金を持ち寄って大きな事業を共同して行う、あたかも樹木の芽株を集めて人為的に森林を形成するような、「株式」や「企業組織」、「資本主義経済」という概念やメカニズム、「神の見えざる手に導かれ…」という名言で有名なアダム・スミスを始祖とし、その他にマルサス、リカード、J・S・ミルなどに代表される「古典経済理論」が体系づけられ、「経済学」として確立されることとなったのは、17世紀のヨーロッパにおける産業革命以降のことである。
この古典派の資本主義経済、市場主義経済に続き、近代にはマルクスやエンゲルスにより社会・共産主義経済なども生まれ、第2次世界大戦からはアメリカが主導する自由・市場主義経済が主流となって進展したが、20世紀末には世界の経済理念を2分したソ連邦の自滅的な分裂もあり、社会・共産主義経済を標榜する国は世界の少数派で異端とされるようになり、また一方勝ちとなって現在の世界を支配する主流の自由資本・市場主義経済にも、「不況期には政府が積極的な財政支出などのマクロ経済政策を行うべきだ」と主張する、所謂ある程度の大きな政府による関与の必要性を強調したケインズ経済論がもて囃され、日本でも、これこそ近代経済学のバイブルでありモデルでもあると信奉し実践する政治や学者、財界人が多かった時期もあったが、これも1970年代のアメリカの大不況でインフレと失業の増大があり、日本でもバブル経済の発生と破綻後の長期不況とデフレの苦境を味わったことから、今度はこれが否定され、小さな政府、規制緩和、官業の民営移行による活性化を良しとするネオ・エコノミーが台頭するといった変遷があり、その後再び、アメリカでもプライム・ローンの破綻というリーマンショックが発生し、その行き過ぎからさまざまな弊害が露呈するに及び、ごく近年になって今再び、この見直しと修正を求める声が高まり、ハイエク、フリードマン、ベッカーなどの経済思想家が主唱する「新自由資本・市場主義、投資金融資本主義経済」が世界の主流の考え方になってきたのである。

(2)新自由資本・市場主義経済を探求する概念

一般的な経済学発展の経緯の捉え方は、前記したアダム・スミスの資本主義・市場主義経済の考え方などが古典派と称され、「神の見えざる手…」という名言の意味も浅はかに「自由放任主義」と誤解し、陳腐化した誤った理論だ、社会主義経済もまた、時代遅れだと異端視され、日本の保守的な資本主義経済は、独特な社会主義的自由市場主義経済だなどと批判されるが、過去の考え方や理論、手法の全てが間違いで悪であったと決め付けられるものでもなく、経済は本来、多様・多面性があり、輸出主体の企業か輸入主体の企業かといった、その立場による善悪の二面性もある生き物であり、時代背景や環境変化の影響を受け、それに各国なりの置かれた環境条件や事情も、国民性も、価値観や欲望の段階の違いもあって当然であり、故に常に流動的で、功罪もリスクも、好調・不調の浮沈や周期的変動、どちらに主眼を置くかなど、考え方の差異は合って当然であり、どの時代になっても永遠不変で、全世界に共通する統一的、画期的なワン・ベストの理論や運営手法があるものではなく、要はその時代や環境、各国の事情に適し、国民が自主的に望ましいと選択した対応政策が、その時点での最良の経済運営の考え方といえるものである。
だから20世紀末のソ連邦の分裂崩壊も、独裁的専制、威圧的政治の弊害や失政もあったであろうが、根本的には軍事や経済競争での敗退ではない「不戦敗」であり、自滅的な内部崩壊であったと申し上げたのである。
もう一方の勝ち組の理論とされる自由・資本・市場主義経済理論についても、種々の歪が生じたとはいえ、その全てが善でも悪でもなく、その節度を忘却した行き過ぎの度合いや、政治的調整の巧拙が問題になるというべきであろう。
確かに自由化や競争原理の導入は、誰にでも新しいことに挑戦して勝ち組に入る機会が与えられ、その変動のリスクや刺激が、経済活動の活性化や進歩を促すことも事実であり、それ故に自由資本主義や市場経済は、変化に富んだ過酷な長距離の難コースを、スピード制限などの規制がなく、自由なハイスピード、ドライバーの卓越した操縦技能で、同乗するナビゲーターが提供する情報を参考にしながら、完全走破することを競い合う、リスキーだが抜きつ抜かれつのスリルが楽しめ、もし良いスポンサーに恵まれ資金が潤沢で、高価な優れたマシンのレースカーに乗れれば有利で、大きな夢が叶えられることもあるが、未熟な操縦では大怪我を負い、周囲の観衆を巻き込む大事故にも連なる危険性も多分にある、F1自動車のラリーレースのようなものといわれる。但し、だから優れた性能を有するが高価なマシンの製造が可能な経済先進大国でないと参加し、勝利し難い。それに経済競争と大きく異なる点は、経済運営は、生産、分配、消費、貯蓄・投資など何らかの分野で全国民が関与するオールスター・キャストのチームワーク重視の団体競技であり、その成否は、一部の競技に参加した優越階層者だけでなく、国家や全国民の運命、とりわけ経済発展や好景気の恩恵がトリックル・ダウン(下部層にまで浸透すること)することから取り残される社会的弱者層ほど悪影響や犠牲を強いられ、更にはグローバル経済化の現代社会では、全世界にも大きく瞬時に影響を及ぼすということである。
自由な競争は、お互いに刺激し合い、切磋琢磨して、技術の向上やサービスの向上を促すといった利点もあるが、その前提には、共通の土俵とルールなどの一定の条件の下で競い合いことと、万一のトラブルに備えたセーフティーネットや救護処理の整備が要求され、その反面で、自由の代償として、リスク負担と自己責任の増大はつきものと覚悟する必要があり、また運営技能の向上努力が勝者となり得る絶対必要条件となる。また不幸にして敗者となった場合の、政治的に適切な救済策や再起への支援策があるかどうかによっても評価が変わる。
ネオ・エコノミストが主唱する「新自由資本・市場主義経済」の世界共通の明確な定義づけはなく、いずれも抽象的な概念でしかないが、アメリカでは「新自由主義経済(Neo-Liberalism)」と略称され、優越的な立場にある自国に都合の良いような自由化(諸規制の撤廃)や自由貿易、グローバル・スタンダードの押し付け、日本では「市場原理主義」、つまり「市場取引の差益稼ぎによる株価のつり上げと自己収益の極大化市場の経済システム」と単純に受け止められているきらいがある。
しかしそれは、好ましい経済の原点である「経世済民(道徳・理性の枠内で正しい道筋に従い、うまく世の中を治めて安定させ、民衆を物心共に豊かで幸福にさせるという意味)」や、「最大多数者の最大幸福の実現」という人類の崇高な理念を忘却し、都合よく曲解して、逸脱、行き過ぎ、暴走となった従来の自由資本主義の考え方の延長線上でのまやかし微調整でしかなく、経済学の祖アダム・スミスが主張した当時の純粋な、「自由闊達やモノやカネの取引市場の場面で、ごく自然で人為的操作を加味しない、需給関係や顧客のニーズなどの諸環境条件から導き出される物価や株価は、見えざる神の手で導かれるが如く、やがては落ち着くべきところで落ち着き、市場環境の実態を素直に示すので、経済政策や事業経営上の正しい判断情報を提供してくれるので、政治的に為政者が余計な干渉や規制をせず、人間の性善説と良識、理性の自律を信じ、これに立脚した道徳の枠内での、自然な成り行きに委ねること(注:「神の手」の言葉にはこういったある程度の自律的規制の意が込められている)が望ましい」と提唱した真の自由主義市場経済の理念にも反するものである。

(3)新自由資本・市場主義経済の転換の本来の目的と主旨

これらの過去の問題点を改め、今後数世紀の地球規模の環境の変化にも耐え得る堅固で健全な経済体質構造に再構築し直すには、過去のような自国本位のエゴを排し、マクロ的、長期的、全世界・全人類の幸福の実現といった観点から抜本的に見直し、従来の意識や手法を根本的に改革・是正しようとすることこそが、今次の新自由資本・市場主義経済の真の目的であり主旨でなければならない。
昨今、アベノミクスの巧妙な情宣戦略御用マスコミのヨイショ記事に煽られ、それに幸いにも、アメリカ景気の持ち直しにも支えられて、確かに株価が不況最悪期の約2倍にまで高騰し、上層部を主体に景気回復状態が見受けられる事は結構なことだが、下層部の中小零細企業や庶民層は未だにその恩恵に浴せないだけでなく、更なる皺寄せ負担が強いられて苦境から脱しきれず、国内の実体経済にまで好景気の転化がなされたとは言い難い。その上にここに来て、世界経済での影響力を持つアメリカ、中国、韓国経済に軋みが見られ、為替相場や株式相場も気迷い気味で乱高下の傾向を示し始めているので、安倍首相の大胆だが目先の劇薬投与による応急処置に止まっている経済政策の成否は、一喜一憂せず、もう暫く一抹の慎重さをもって注意深く見守る必要があり、まだまだ日本経済は順調な成長軌道に乗ったと安心できる段階とはいえない。
日本人は、過去を古き良き時代であったと懐かしむ傾向は強いが、過去を回顧して反省すべきはし、それから学うということが少なく、一過性で、「温故知新」がさらに好ましい「温故知真(真理を悟ること)」とはならず、「温故奇新」や「温故慢心」となり、性懲りもなく同じような過ちを繰り返すことになる。目下、国会論争の焦点となっている国家機密情報保護や離島の領土紛争の対応策がそうならないことを願いたいものである。
それにしても1990年のソ連邦・東欧の社会主義国の崩壊と、自由主義経済国日本のバブル破綻、長期デフレ不況への突入とが期を一にしていることは興味深いが、その要因を考察すると、いずれも、過去の一時的な成功で慢心なり、この好調時に次ぎの時代や逆境に備えた対応、国家体質の根本的改造に着手しなかったことと、成長の過程で、その影で犠牲とされてきた民衆や部分への救済策などのケアーを怠り、その反動や反乱、不満があって自滅したとこと、諸規制などにより締め付けや緩和は、行き過ぎても完全撤廃の放任でもよくなく、程よい加減こそが大切であるといえよう。
好調な時期や優越的な地位にあるときには、声高に自由や自主を主張し、逆境や不利な状況になると、今度は国家の規制や、保護を強く求めるといったような身勝手さがある限りは、真の自由、自主、自律を希求する資格はないし、その自覚がないと、真の新自由資本市場主義経済体制もTPPも、有効に機能し得ないであろう。
超大国アメリカが主体となって主張する新システムの具体像をまとめると、端的にいえば、それは旧来の日本の伝統的な「共同体重視」の思想や経済体制と対極をなすもの、つまり「大きな権力を持つ中央政府の積極的な関与と国内産業の保護主義、高福祉・高負担の名目での法人税や所得税の引き上げが基本政策であったことや、営利追求の民間企業に代わって、国が国民生活に関わる医療・介護・保育から職業紹介に至るまで、公共的なサービスの供給に全面的に責任を持つべきとしてきた」ものを、これでは高福祉への政策が先行する一方で、元来、政治的に高負担は受け入れ難いので、赤字財政の慢性化や後継世代に負担が先送りされる大きな赤字政府となるし、グローバル経済が進展した現在では、国際的に同歩調をとることが出来ず不適切になったので、近年のユディシュ・アメリカ流の大企業・大手投資家有利の市場主義に、必要に応じた適度な政府の調整出勤を加味するものに改めようとするものといえようか。
新自由資本主義の思想では、第1に、資源配分の面では、市場競争を重視し、それを妨げるような企業の行動は一切禁止されること、第2に、最少のコストで最大の成果を達成するために、真に必要とする層に直接届くものに重点を置く、効率的な所得分配政策をとること、第3に、政府によって運用される社会保険制度は、その負担として保険料が確実に徴収される公平な仕組みを構築し、国民生活に関する基礎的サービスの水準を確実に担保する市場形成をすることの3本を柱としている。
市場と政府の役割分担については、人々が必要とするものの価格が市場競争を通じて形成され、それを基準に、どんな商品をどれだけ作るかを決めるのが「市場原理の原則」だが、それで足りない部分を政府が補うとしている。
たとえば、政府は、市場では供給できない社会資本(幹線道路などの社会インフラの整備など)や公共的サービス(防衛、警察、消防、司法など)」を自ら供給しなければならないが、さりとて、官の権力や干渉が肥大化し過ぎない程度が重要であり、そのためには、政府がまとめて行った方が合理的な範囲に限るとしていることなどが主要な具体要項である。

(4)世界の新経済体制確立への要望

耐久性のある堅牢な家屋を改築をする場合、従来の軟弱な地盤や礎石のまま、部分的応急補修や、その上に同じ構造の家屋を建てることは愚かなことであり、周囲の環境などを事前に十分調査して熟知した上で、従来の不適切であった点を改め、どんな家を再構築するかを考案して設計し、それに相応しい基礎地盤造成から取り組むことが肝要だが、このことは政治や経済、産業、社会、教育制度などの改革や再構築においても同様である。いや、これらの改革は、個人の家屋と異なり、国家や世界全体の未来にも大きな影響を及ぼす決定となるので、目先の対応や、各国のエゴな利欲だけでなく、長期的・多角的な視野と思考で、慎重に取り組む必要があり、彌縫策の拙速は厳に慎まねばならず、したがって為政の長は、自己保身より捨て身で、現世より後世になり高く評価される気構えで取り組み、事前に国民にも十分に主旨を説明し、その理解と指支持と協力を求めることが肝要である。 なぜなら、民衆の支持なき改革は、成功した例がないからである。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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