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幸福の価値観転換の世紀へ!

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公開日付:2013.07.12

(1)現在の世界的混迷を、人類の意識と幸福の価値観転換の好機に!

現代世界の主流となっている理念は、欧米先進経済諸国が主体をなす自由民主主義と、モア・アンド・モアの財物的豊かさを求めて止まない資本主義・金融市場経済、物資文明であることを疑う余地はない。
しかし近年になり、国際的なモノ・カネ・ヒト・情報などの交流の活発化に伴う競争激化の上に、地球の自然破壊、温暖化、異常気象、人口の爆発的増加、資源需給関係の逆転などといった急激な環境の変化や世界規模の経済動乱もあり、あたかも補修点検の間もないほど過度に稼動し続けた機材に金属疲労が生じるように、このような国家・経済体制や、その下で生きる人間の精神構造にも疲労からの異常な歪や、経済的豊かさ、物質文明の発達の反面での種々の矛盾や弊害、精神文明の荒廃が顕著化し、それが他者の事情も斟酌しない優越者による利己的生存競争や行過ぎた拝金主義、投機的市場経済(博打経済)の台頭、貧富格差の増大や精神的苛立ちからの悪徳経済犯や凶悪な劇場型犯行、文明病や鬱病者の増加という現象として露呈するに及び、ここにきて世界的にも人類の真の幸福や豊かさについての価値観にも変化が見え始め、その見直しと修正が求められるようになってきた。
確かに、ある程度の環境の厳しさや競争は、人間の意識や能力の進化、科学技術や政治・経済運営手法など種々の進歩を促すといった良い一面はある。
だが、経済も含め物事には全て、善・悪、勝・敗、貧・富の両面があることも事実であり、あまりにもそれが急激な変動や過当なものであっては、自然界の許容量や自律的調整・復元能力、人間の意識や対応能力の進化が追いつけなくなり、また、反面の副作用や弊害も生じ、特定の一部の勝者だけが全ての富を収奪し尽くせば、結局は勝ったり負けたりのゲームを楽しく長く続けることが出来ず、勝者も敗者もなく全ての不幸や滅亡に連なる。
故に、そのスピード感とバランス感覚、もっともっと(More and More)という過剰欲望を慎み、ある程度の満ち足りるを知り、中庸を歩むことが大切ということにより、それが「知恵ある種族(ホモサピエンス)」とか「優れた主役(プリマーテス)」と称される人類の特性である「理性(Intelligenceの原義は、全体の中の個を意識し、中庸を道と選択、自律し得る良識の意味)」というものであろう。
財物的豊かさに奢り、権力欲に取り付かれて目が眩み、人間本来の特性である「崇高な理性による欲望の抑制」による適量感やバランス感覚を失くしたことに現代の全世界的なあらゆる不安定感や混乱・争乱の原因があるといっても決して過言ではないし、これを根本的に改めない限り、どんなリスク分散策や金融市場経済理論や手法を駆使して悪足掻きをしても、現代の全世界・全人類的な混迷と閉塞感を打破し、恒久的平和と物心一助の豊かさ、真の幸福実現は不可能である。
こういった矛盾した不幸な行き詰まりや破綻という不幸な現象を、先賢達は「アナストロフイー(上方志向の破局、巨大化し過ぎた弊害の意味で、この反語は下方志向の破綻カタストロフイー)」とか、「物極必反」という名言を遺して示唆している。
古典派経済学の始祖であるイギリスの経済学者アダム・スミスが、その名著「国富論(1776年刊)」の中で説き、19世紀の自由主義時代に各国の経済政策の基調となった有名な「見えざる神の手」という名言は、その後「自由放任と強欲さは良いことである」と曲解されてしまったようだが、「過度や規制や人為的干渉より、たとえ市場参加者である資本家や事業者の営利心が働いても、自由活発なモノやカネの取引の需要と供給のあるがままに任せれば、物価や株価などは、多少の時間的なずれはあっても、いずれは神の見えざる手に導かれ、客観的な評価から自然に落ち着くべき水準値に落ち着き、妥当な均衡が保たれるし、その方がむしろ、市場(社会)の需給環境や経済の実態が率直に表現されるので好ましい」というのがその真意であり、決して一部の大資本家の横暴な利益独占やエゴ、強欲さを容認したり、為政者の無策を奨励するものではないのだ。
近年はこの至言を悪用し、自由と勝手気ままとを混同したり、弱肉強食が自然界の掟だと開き直って正当化したり、信望を集める優越者が具備すべき「ノブレス・オブリージェ(社会の主導的立場にある者としての矜持と責任)」が忘却され、一部の大国や有力者による意図的な情報操作や市場介入で、相場や景気が演出され、バブル経済現象を生み出し、市場の実態が捉え難くなり、そのことが民衆の不安と疑心暗鬼を増幅し、世の中をかえって混乱させて、自由・市場主義経済の弊害ともなっている。
厳しい自然界に生きる動植物の弱肉強食や自然淘汰の原則についても誤解があるようだが、それは決して勝手放題の無秩序や凶暴さではなく、本能と体験から自習した知恵としての節度と、生態系の秩序というべきものがあり、しかもそれらは環境の変化につれ、ゆっくりではあるが漸進的な進化を遂げて止まず、大・小、強・弱それぞれなりの生き様や住処を求め、他者の存在を無視したり、種族の絶滅を図るまでの殺奪は決してしないのである。
たとえば、百獣の王ライオンといえども、自分の生存に必要な捕食はするが、満腹になればそれ以上の殺生与奪はせず、海や離島、樹上や空にまで領地を拡大しようとはしない、自分なりの身の処し方と棲み分けや節度は心得ている。最強の水陸両棲動物とされる鰐も、内陸の奥地までは攻め込まないし、巨大な象の群れも、広大な草原の全域は踏み荒らさず、密生林に多種な野生猿や鳥が棲息しているが、樹木の高さでそれぞれ譲り合い棲み分けをして共存共栄を図っているという。
それに比して、霊長類と自負する人類は、どうしてこうも身の程知らずで、限りなき領土や富の独占的奪取を求め、競争による他者の排斥、自然の破壊を慎もうとしないのだろうか。
「自然は最も良き教科書」といわれるが、自然界の大原則は、「適者生存、適量安泰、生者必滅、新陳代謝、特性発揮、棲み分と互恵、弁限・知足、共生・共栄」であるが、自然界の一員である人類も、道に迷った時は原点回帰、もう一度謙虚に、この自然界の摂理に従って、現代の世界的な苦境と混迷からの脱却を図り、新たなる幸福の価値での地球社会の構造改革を希求すべきであり、日本の象徴である富士山が、世界文化遺産に登録承認を受けた今こそ、わが国が率先して、物資文明から精神文明へ、弱肉強食の競争社会から強弱共生・共栄の協同社会へ、優越者重視の資本主義経済から国民生活向上重視の民衆主義経済へ、諸資源の大量消費社会から諸資源の再活用社会への転換を通じた真の幸福の実現探求を迫られている世界の主導国として、再び積極的に貢献する契機としたいものである。
安倍首相が、思い切った経済再生への挑戦と大見得を切って臨んだ今回のG8サミットにおけるアベノミクスの表明にも、こういった未来ビジョンに基づく斬新な構想の提唱や、その具体策の裏づけに欠ける点があったことが、一応の外交的賛辞は受けたものの、本音は、やや失望と、一抹の危なっかしさを感じさせ、今後のお手並みを注意深く拝見しようといった評価になり、その後も株式相場の気迷い乱高下が続いて安定せず、成長予定路線に多少の誤算と乱れが生じることとなったのは誠に残念であり、一層の頑張りと実現を期待したい。

(2)江戸時代の日本は物質・精神文明両面での先進国だった

16世紀頃から大航海時代を経て世界に飛躍し、当時から世界の先進地域と自負してきた西欧諸国だが、それはごく一部の優越的地位にある者の武力による他国侵略と富の奪取、植民地政策によりもたらされた、優越者だけの経済的繁栄でしかなく、国内体制は君主独裁の封建的な階級社会、大多数の一般庶民は、自由さも土地所有も許されず、自国内での主生産物は農作物という土地経済の域を出ない農業国で、彼らは君主に従属し、終生、小作農に従事する農奴のような存在、探検家マルコポーロやベニスの商人、バッハやモーツアルトなどといった音楽家や画家、金や皮革工芸品を手作りする芸術家や職人なども、全て名家に抱えられて主君に奉仕するサーバントでしかなかったのである。
その後17世紀末頃にイギリスに端を発した産業革命が起こり、鉄の精錬技術向上や機械生産が発達して工業立国としての基盤が築かれるようになったのは18世紀の後半になってからだが、汗して働かずに富を得る資本家と、実際に働き富を生産する労働者との経済的、社会的身分の格差は相変わらず歴然としており、その不満から英国人などが大量に新大陸に移民し、原住民や既得権益を有する諸国を放逐して1776年に独立建国されたのがアメリカ(国名は、開拓先駆者であったイタリア人アメリコに由来する)である。
それと同時代の日本はといえば、1603年に全国の戦乱を平定し、その後260年も永続した太平の世を開いた初代徳川家康の遺志を継いだ江戸幕府の治世時代であり、3代将軍家光の1620~1650年代には、鎖国制度で他の外国との交易を断ち、小さな島国の自国内だけの限られた資源と独自の知恵や努力だけで、他国に武力侵略をすることもなく、既に、豊かで平和な国家、安定した政権が築かれ、とりわけ首都の江戸は、主要5街道や、上・下水道、市街地の性格や用途別街区整理などといったインフラの整備も進み、その後の歴代将軍の治世においてもこれが引継がれ、農業振興だけでなく商業経済も大いに発展し、コメの先物取引制度も創案され、支配層の武士階級でない農民でも、「農業は国政の基」と大事にされ、町民の新興財閥も輩出し、面積は40平方キロメートル程度の狭い地域ながらも、人口は百万人にも達するなど高密度に増大して世界一の規模となり、徳川将軍家の世襲制とはいえ、実質的には老中の集団合議制度による行政が行われ、それでいて、上から下まで礼儀正しく、社会秩序も整然とし、治安もよく、庶民は貧しくも生き生きとしてよく働き、花見や芝居見物などといった余暇を楽しむ心のゆとりを持ち、精巧な美術工芸品や、茶道や華道といった文化、寺小屋のような庶民教育も進んでいて識字率が高く、信仰心も厚いなどなど、一部のエリート層だけの経済的豊かさだけでなく、庶民の生活も安定し、安全で安心な暮らしが出来た、物質文明だけでなく精神文明的にも優れていた、知られざる世界の先進国だったのである。
だから初めて来日したスペインの宣教師も、その情景に接して、「世界の果てのこんな離れ小島の国でありながら、先進性があると自負していた西欧諸国にも優る、豊かで平和な立派な国があったのか」と驚愕し、他のアジア未開発国とは別格の侮れぬ国だとの報告書を皇帝に提出したという。

(3)欧米の干渉を受けて、日本は独自性を失し変質した

そんな日本であったが、幕末になって黒船来航、開国で諸外国の影響を受けるようになり、さらに明治維新以降の近代欧風化や、それに続く第2次世界大戦の敗戦後には、すっかり戦勝国アメリカ流に染め替えられ、その政策や制度から、国家間競争の戦法に到るまで、主体性を持たず、追従と模倣、亜流で良しとなってしまい、挙句に、その狡猾な褒め殺し謀略の罠に嵌められ、引きずり込まれて、体格の巨大さや体質の強靭さが異なる先進列強国に負けじと背伸びして肩を並べ、グローバル・スタンダードの押し付けも受けて、同じ土俵とルールで真っ向勝負を挑むようになって以来、日本固有の伝統的な良い国家や政治の体制、企業文化、社会風習、国民の生活態様や価値観まで捨て去り、精神構造まで骨抜きにされてしまい、全てに狂いが生じ、苦境に陥ってしまった感がある。
国土の狭隘さと立地、国内で保有する生産基礎資源が乏しく輸入に頼らざるを得ないこと、それだけにコスト高であること、将来労働人口の減少化と高齢化など、自国の置かれた環境条件を冷静に分析すると、基本的にこれらの面で優位に立つ強者と比して劣者の立場であることを認識し、弱者の戦略、つまり外観の体格的大きさの競争より、内容的な体質の優位性で勝負すべきだったし、日本はアメリカよりも、むしろ同じ敗戦国であったドイツ(旧西独)から学ぶべきではなかったろうか。その点、中国や韓国は、強者と弱者両方の立場を巧みに使い分け、実に対等の強かさを発揮している。
日本の国家や政治、経済、産業、社会などの将来に向けた大胆な構造改革と体質の改善による再興策に取り組むに際して、目先の小手先対応や補修だけでなく、もう一度、好ましい政治や経済、事業経営活動の原点に立ち帰り、本当の豊かさや幸福とは何かを根本的に見直す事も意義があろう。

(4)真の豊かさや幸福を求めて?

現在の日本は、アメリカに並ぶお金持ち、豊かな経済大国だと言われている。
確かに経済規模の大きさを示すGNI(国民総所得)ではその通り、アメリカ、中国に次いで日本は世界第3位/56,015億ドルであり、その他の統計資料数値でも、A)個人貯蓄の総額が約1,350兆円、B)1世帯平均貯蓄額も約1,450万円と平均年収額の約3年分、大都市の百貨店には世界の有名ブランドが出店し、スーパーマーケットには商品が溢れ、国内に居ながら世界約50カ国の料理が味わえる。
しかし、国民一人当たりの所得では、1位のモナコ/157千ドル、2位サウジアラビア/144千ドル、アメリカ/47千ドル、日本は16位/44千ドルであり、中国はまだ日本の10分の1程度でしかない。A)の個人貯蓄額が多額だといっても、この中には学校法人や宗教法人などの巨額な団体預金が含まれた単純平均値であり、一方、国や地方自治体の借金額もこの75%に達するほど多額で、しかも増加し続けているので、このままだと国家の財政破綻が危ぶまれる。B)は預貯金だけでなく生命保険や株式時価評価保有額が含まれた単純平均値、住宅ローンなどの借金残額を差し引くと正味の預金資産は少なく将来が不安、預貯金保有ゼロの家庭が約20%強という公表資料もあり、マクロ的に見た国民経済計算でいう国民一人当たりGNIと、一般的にいう個人家庭の純粋な貯金額とは調査の主旨や目的が異なり、総理大臣でも勘違いするほどに、実に紛らわしい。
しかし、これらからだけでも、日本経済の外観の大きさと中身の質との差異や、歪をかかえた繁栄でしかないこと、またさらに、4%ほどの大手企業や富裕層が国民所得の60%を占めておれば単純平均値は引き上げられるので、庶民の生活実感との乖離が生じることや、公表資料のまやかし、調査手法の適正さと結果数値の正しい読み取り評価の難しさと重要性がご理解いただけよう。
したがってわが国の実態は、俗っぽく平易な例で言うならば、「外観は、贅沢なブランドもののコートを身にまとい厚底靴を履き、ふんぞり返って美食を楽しんでいるので、一見、背が高く恰幅も良い立派なお金持ちの紳士に見えるが、コートを脱いだ中身は貧相で、豪邸は借金コンクリート構造、クレジットで派手な消費をし格好をつけているが、財布の中は心もとなく、足元がふらつき不安定で倒れやすい老人のようだ」といえようか。
真に豊かさとか幸福感は、こんな見せかけだけのリッチさ、財物だけの豊かさではなく、国民が将来に希望が持て、生活に安定・安心、公平・公正感があり、心も教養も豊かでゆとりがあるものであること。貧富格差が大きく他者との不公平感からの不満が強いものであってはならない。「人は乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」ものであるから、貧富格差が顕著で、他者との比較で不公平・不満があってはならない。
このことは、最貧国レベルにあるブータンだが、国民の98%が国家を信頼し幸福感を抱く世界一であること、税負担率は総じて高いが、社会公共の福祉が行き届いている北欧諸国、自然環境が美しく、地域社交が活発で公衆マナーが良い国、納税も含めた法規制の遵守には厳しいが、社会秩序や治安の良いオランダやドイツなどは、概して豊かさの実感度が高い国といえ、なんだか3~4百年前のわが国江戸時代のようである。逆に、国家や社会全体の繁栄を考えるより、個の利益や主張が強く、闘争心旺盛で競争の勝敗に拘り、他人を突き飛ばしてでも、優位に立ちたがる国民性の国では、心のゆとりも幸福感もなく、常にストレスを抱え苛立ち、弱者いじめの卑劣犯や凶悪犯が多く、これもまた昨今のアメリカや日本の社会のようである。
ゆとりや幸福感は、財物の豊かさだけでは得られず、要は、物心一如しのバランス感覚と、人間の心の持ち方、意識と価値観の切り換え次第という結論になる。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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