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江戸幕府の治世と対比した現代日本の行政、信用調査、与信管理、倒産情報は東京商工リサーチ。

公開日:2010.09.10

江戸幕府の治世と対比した現代日本の行政

(1)なぜ今、江戸幕政の再考が求められるのか?

 1607年に徳川家康が征夷大将軍となり幕府を開設して以来、第15代徳川慶喜が最後の将軍となって朝廷に大政奉還をした1867年までの260年に及ぶ江戸時代は、徳川将軍家という特定一族による支配下の封建的階級社会でありながら、世界的にも稀有な、大きな国内権力闘争も起こらず、農業経済から商業経済への漸進的な移行もスムーズに進んで経済的にも拡大繁栄をみて、大勢としては比較的に穏便で平和な時期が長期的に持続した時代であり、キリシタンの禁令で国外追放となった当該諸外国の宣教師たちまでが、「日本極東の僻地の小さな島国でありながら、実に社会秩序も整った素晴らしい、侮り難い国だ」と高く評価したほどであった。

 事実、この時代の治世の主体者は武士階級によるものであったから、当世風に言えば軍事政権による治世といえるが、徳川政権初期には既に、現在の東京特別区のJR山手線内の6割程の地域で面積約35平方キロメートルに過ぎなかった主都江戸の総人口は100万人超(町民地の人口密度約18千人/平方キロメートル)となり、武器の性能や兵員の質は別として、全国の鉄砲の保有数や、武装兵員の数では約200万人(当時の諸藩の禄高総数などから推計)であったことなど、世界有数の国力を有していたとされるが、薩摩藩による沖縄侵略を除いては、欧米諸国のような積極的な武力行使による近隣他国への侵攻もせず、また厳重な鎖国政策下とはいえ、一部の限定地域には諸外国との接触の窓口を設け、世界情勢にも関心を持つという柔軟性も有しつつ、概して内政優先重視で平穏に推移したのである。

 国際的には、世界人類の恒久的平和を謳いながらも、軍事紛争が絶えず、経済・金融競争も激化し、勝ち組や負け組といった貧富栄衰の明暗顕著化が進み、国内的にも、政治闘争や企業間の生死をかけた争いが依然として止まず、わが国の将来への展望が開けず、悲観論や閉塞感が巷に蔓延している近年、太平の世が永続した江戸時代と現代日本の行政体制や企業経営姿勢と対比して参考とし、温故知新、その是非を問い直すことも必要なのではなかろうか。

 

(2)江戸幕政の長所と短所

 では江戸時代幕政の実態から、その長・短所を改めて整理し、参考に供しておこう。

 1)強力なリーダーへの絶対的信頼と支持

 150年余も続いた群雄割拠の権力獲得と領地拡大の国内争乱を、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった3代にわたる、それぞれ個性的で時流に適応した強力な統率者が続出し、最終的に徳川家康が全国を掌握支配し平和な世を導き出して江戸幕府を創立することとなったのだが、以降、その体制の基盤を準備し、同属世襲政権の永続を可能ならしめたのには、初代家康の功績が大きかったことを認めざるを得ない。彼が卓越した先見力と深慮遠謀、文・部・財・心のバランスよき能力を十分に発揮して、長期的視野に立つ日本国と各階層国民のあるべき姿などにつき、基本理念とビジョンを明確に打ち出し、長期設計図を描いて将来の進路を示し周知徹底させ、大胆細心の配慮で慢心にならず焦らず立ち止まらず、着実な実現に取り組み、その方針に迷いやぐらつきがなく、一本筋が通っていたので、文武民すべての絶大な信頼と支持を得たこと。まさに政治は「信なくば成り立たず」であるが、近年の政治家には、こういった根本的要素が欠けているのではないか。

 2)「内平らならずして外ならず」の鉄則に従い、先ず内政の安定に重点を置き、無謀な海外侵略の野望を慎むと同時に、外部勢力の侵略に対する警戒も怠らず、キリシタン禁令の持続や自由貿易の制約、鎖国政策をとるなどしたこと(プロテスタントのオランダを除く当時のキリスト教宣教師の多くが、祖国から植民地化への先兵としての情報謀略の密命を帯びていたことを家康は見抜いており、これに適切対処した)。

 3)武略から文治へと移行した時流の変化を適確に捉え、それに即応する巧妙な適材適所配置と処遇をするなど、戦略的人事政策に優れていたこと。

 4)特定個人に「名誉と権力と富」の3要素が集中し独断専横となる弊害を排除するため、これらの分立と相互牽制を図り、補佐役である家老や名参謀、信頼できる譜代大名には禄高より権力を、直系親族やブレーンの学者などは名誉で、反乱を起こしかねない実力派の外様大名や、財力で成り上がってきた商人などには、名誉や権力より富を与えて恩を感ぜしめるなどで巧みに処遇し、そして農民や町民には最低限の生活の安定と安心を保障して不満を解消したこと。

 5)こういった上意下達を浸透せしめるためのインフラ整備として、人材の育成・登用に配意し、諸改革の基本は先ず人間の意識と能力革新からと、上級武士のみならず寺子屋などを通じた庶民に至るまでの儒教精神の教育を重視した結果、総じて教育水準が高くコミュニケーションも円滑となって、社会秩序が保たれたこと。

 6)情報と交通と水を制するものが世の中を制すといわれるように、これらのインフラ整備に注力した結果、6街道の開通や、街区整備と地域管理体制が行き届き、犯罪も減少し、物資や情報の流通が円滑になり、経済的にも発展し得たこと。

 7)トップの同属世襲制度の弊害を指摘する向きもあるが、有能な実力派官僚を補佐につけて治世の実務を担当させれば、将軍が有能か無能かなどは問題でなく、実力主義登用による跡目争いの内紛も回避し得るし、一度出来上がった確固たる体制は、そう簡単に崩壊しないとの自信を現実化させたこと。事実、無能といわれた将軍の治世の時期ほど、有能な名参謀役が抜擢登用されて輩出し、その期待に応える活躍をしていること。

 8)富の再配分の適正化策にも配慮し、禄高に応じた公共投資費用の分担や労役負課、豪商への資金提供要請を行い、ある時期には多少の農民年貢(納税負担率)負担増で一揆が増発したこともあったが、江戸時代全体を通じてはそれほど庶民の税負担増とはならず30〜35%程度に止まり、富める者への応納負担を基調としたこと。

 9)5代将軍綱吉の生類憐憫み令や8代将軍吉宗の通貨改鋳、吉宗の質素倹約方針に反抗した尾張徳川家の消費奨励による経済発展政策、老中田沼意次の賄賂政治など、後世に悪政と評されるような事態もいくつかあったが、これらとて日本人の極端な質実剛健や潔癖好きから、増幅誇張されて伝えられた嫌いもあり、近世になり再評価しなおされているものもあるし、失政と気づけば、それを改める素早い自浄の手もうたれてきたこと。

 10)それになんといってもこの時代には、幕末を例外として、概して外国からの侵略や干渉に煩わされることなく、内政の安定と充実に力を傾注しえる平和な時代を持続し得たことで、人的能力の開発や健全な公徳心の涵養、長幼の序を尊ぶ社会秩序の確立、高度な技術や文化の蓄積などといった基盤の整備と潜在エネルギーが、幕末の衰退からの脱却と近代日本への脱皮を目指す日本国家の大構造改革の契機となった明治維新の原動力となって爆発したこと。 などである。

 こういった国家体制の確立と品格、内政の安定があったからこそ、幕末期の諸外国からの干渉に対しても、主体性を持って毅然とした対応が出来、日本侮り難しと欧米先進列強諸国に感じさせ、他のアジア諸国のように植民地化侵略の野望から国家を守ることができたのではなかろうか。

 

(3)江戸幕府15代将軍の治世と現代の政治・経済政策との対比

 日本全国が争乱に明け暮れた戦国時代を終結させ、その後260年に及ぶ太平の世を拓き、江戸幕府の治世の基礎を築き上げた初代将軍徳川家康の残した功績が絶大であったことを否定する人は、今日ではまずいないであろう。

 家康の人物像については、戦前は、狡猾な狸親父だとか、織田信長が苦労して搗きあげようとした餅を、それを踏襲した豊臣秀吉が丸め上げ、これを美味しく食した要領の良い者が徳川家康だとか、ただ時流に恵まれ、思わぬ天下餅が転がり込んできた幸運の持ち主であったに過ぎないなどと揶揄されたこともあった。

 しかし織田信長のように脂ぎった野心をむき出しにし、早急な功績を焦って強引なまでに大胆な独断専行の改革に挑むものは、いずれは高転びをしかねない危険性を秘めている。

 この辺をと冷静に看破し、危惧の念をいだいた者もいたといわれるが、案の定、部下の明智光秀の謀反とされる本能寺の変で若くして命を絶つことになったし、明智光秀でなくても、誰かの恨みを受けて、いつかは抹殺されたであろうが、この点は、急激な改革を好まない日本人の国民性もよく理解しないで、あまりにも大胆で過激な郵政の民営化などの大改革を焦った結果、その反批判を受けることとなった小泉総理に似ている。「衆を御するには、小鮮(小さな魚)を煮るがごとくにせよ」であり、民衆の理解と支持を得ない早急過ぎる改革は成功し難く、良政には周到な根回しと根気強い戦略的アプローチが肝要である。

 この信長の手法を踏襲し、要領よく立ち回って次の政権を担ったものの、慢心から無謀な他国侵略の野望まで抱くようになって拡大路線を突っ走り、地位を得てからは猜疑心が強くなっての自己保身から、そのやり過ぎを危惧して真心から諫言する有能の士を遠避け、耳障りの良いことをいう取り巻き連中だけを優遇し、正しい判断力を失し、晩節を汚すことになったのが豊臣秀吉だが、このように、アメリカの亜流で良しとし、他者の意見を聞かず独自の理念や見解も持たないで、ただ権力を振り回わし、財力に物を言わせ拝金主義、私利優先に突っ走っているような連中が幅をきかしているのが現代の日本の政界や財界には多いのではなかろうか。

 乱世の指導者と平時の指導者とでは、当然、期待される人材像が異なるが、乱世においても、ただ武略に長じただけの将では、ある局地での戦闘では華々しい戦果を期待できても、天下を掌握支配することは不可能とされ、「たとえ勇将・猛将でも、知将でなくば、真の名将たりえず」といわれる。

 その点からも徳川家康は、乱世にも平時にも対応しえる幅の広さと、多様な資質能力の持ち主であったから、やはり時代がそのようなリーダーを希求し、なるべくして天下を支配する地位につき得たというべきであろう。  このようなタイプの日本の指導者は、戦後では吉田茂か石橋湛山首相ぐらいしか見当たらず、近年の政治家は、政治哲学と道徳理念に欠け、視野が狭くて深慮遠望がなく、外交下手の経済音痴で、問題が起きてからの後手の小手先彌縫策しか打てず、狡猾な欧米諸国と対等にわたりあえるだけの器量の無い小者軽輩が多くなったと感じる。

 2代目の秀忠は、家康に忠実に従うことで同属世襲の将軍にしてもらっただけと巷間受けとられているようだが、歴史資料によれば、決して無能なぼんぼんではなく、実際は案外賢い優等生で勇猛でもあったが、彼は二代目という自分の置かれた立場や時勢をよく理解し、あえて父家康を立てて万事従順で控えめに振舞っていただけだという説もある。

 ただし淀君の妹であった奥方お江与の方の尻に敷かれた恐妻家であったことは事実のようだ。

 だからこそ家康の死後も、単独で政権を守り通した期間は長く、徳川幕府の体制をより磐石なものとしたし、家光に将軍職を譲ってからも、死ぬまで実権を握って積極的に補佐し続けたので、家光からは煙たがられ嫌われたという。

 現代の政界や財界でも、同属世襲のトップが多いが、同属世襲の全てが悪ともいえず、遺伝子的素質を有し、若いときから帝王学を学んできたという利点もあり、あくまでも本人の実力次第での推挙なら問題はないが、素質も実力も努力もないのに、ただ私的な情だけでの世襲は好ましくない。

 初代家康は後継者争いの内紛を危惧して能力の如何に関わらない直系の世襲を絶対化したが、これは既に大平の世の持続見通しが立ち、組織運営体制が確立出来たからこそのことであり、有能な補佐役をつけて治世の実務を信頼して任せられるようになるなら、将軍職は象徴的存在であっても良しとしたものである。

 しかし企業の生死がトップの手腕にかかる商家となればこれは通じず、あくまでも実力本位の後継者選びが要求されることとなる。そこで商家の暖簾の守り方の知恵としては、後継者育成にはとりわけ厳しく、もし後継予定者に素質なしと見限れば、徹底的に道楽をさせて意図的に商売嫌いとさせ、事業には口も手も出させず単なるお飾り社長とし、その分を娘に有能な婿を迎えて、後継者補佐と経営実務を任せカバーした。ただし3代目までもこういう状態が続けば、「親苦労、子楽、孫貧乏」で商家は崩落してしまうので、3代目の育成にはとりわけ幼少期から注力したのである。  苦労知らずで大事に育てられ、現場での叩き上げ実績体験もない無能な後継者が、机上の理論や書物学問だけで、親以上に事業の更なる拡大発展を図ろうと焦ることは危険である。5代将軍綱吉や、最後の将軍15代慶喜などがこれに近いが、現代日本にもこのような政治家や高級官僚、企業経営者が多い。

 韓国では現在でも青年に一定期間の兵役義務が課せられているが、この体験が人物形成に大いに非常に有効だとされているので、日本でもこれに替わる、中小企業の現場での数年間の実地体験学習の義務付け、中間での能力検定試験に応じた降格減俸、リコールなどの制度の政治家や公務員、弁護士や医者などの高度な専門職への摘要導入を提唱したい。

 そこで家康も3代目家光の育成には格別に注力し、有能な乳母春日局をつけ、知恵伊豆と称された松平信綱その他の有能者に補佐をさせた。キリシタンの禁令や鎖国令、参勤交代制度などの斬新な政策を実行したので、家光も15人の将軍の中で有能な一人とされるが、実際の能力は不明な点が多いものの、有能な補佐役に恵まれたことは確かだ。

 4代、6代、7代、9代、10代将軍などは幼かったり病弱だったりで短期政権だったし、もう既に老中の合議体制が整っていたので、論評に値しない。  徳川幕政中興の功労者8代吉宗の治世についても、諸国産物の調査(事業仕分け)に基づく適地適産の産業振興策、町民火消、目安箱制度の導入など、よく知られているので割愛させていただくが、貨幣改鋳が汚点とされていることについてだけ触れておく。これは通貨の偽造か価値の誤魔化しのように捉えられているようだが、お抱え学者荻原重秀の献策で実施されたものであり、そもそも通貨は貴金属としての金や銀の実体価値がある必要はなく、要は交換手段の媒介物としての信頼さえ保たれておれば紙でも木札でもよいのであって、現代的に言えば、通貨の発行量を増やすことで物価を引き下げ、景気上昇を刺激するための政策だったのであり、通貨政策の世界的な先駆けといわれている。

 11代目の家茂は、側室(21名)と子供の多さ(52名)だけで有名な将軍であったが、それが可能であった恵まれた世を安楽に40年近くも将軍職でおられた最も幸せな将軍といえるが、各地では飢餓が続き、老中松平定信による寛政の改革も行われるなど、この頃から幕府財政の貧窮や統制の緩みが進行し、衰退への転換期となりつつあったし、多数の子供の処置を押し付けられた(高級官僚の天下り強要)御三家や各大名は多大な迷惑を蒙り、これが幕府崩壊の遠因となり、衰微を加速させたのである。

 12代目以降の将軍の権威の失墜や、幕政の衰退、混乱はいまさら申し上げるまでもなかろうが、一度確立された磐石な体制も、これだけ長期間平穏な時代と特定支配者による政権が続くとマンネリ化して堕落し、さすがにさまざまな歪が生じることとなる。

 やはり国家や行政官庁、企業にとっても、常に多少の苦難や変化の刺激がないと、緊張感がなくなり、治にいて乱を忘れ、危機管理意識も薄れ、活力が衰える。

 そういう意味からも適度な自由化や競争刺激は必要であるし、時流の激動や逆境が万物の進化の足がかりとなることも事実である。

 以上のような江戸幕府栄枯盛衰の例からも学べることだが、苦境に立つ現代日本の再興隆のためには、圧倒的な巨大政党の多数の力に物を言わせ独占的な長期政権支配は好ましくなく、また学問的優秀者や安易な同属世襲の政治家や経営者では不適切なので、逆境・苦難を体験してたたき上げの成功を見たことのある実学の有能者を指導者として選出し、これに良き補佐役をつけることで、足し算より掛け算の成果(シナジー効果)を発揮し得る組織体制を整えるという意味からも、健全な二大政党の並立で、両者がいい意味で競い合い刺激しあって切磋琢磨し、相互研鑽と牽制で、馴れ合いのマンネリ化や政・官・財界癒着の政治腐敗を防止し、活性化を図り続けることが重要といえ、関係者全ての生死がかかる企業経営においてはなおさら、公私混同意識を排除し、実力人材登用の機会を設け、競争刺激を与え、組織の活力を保ち、明日の発展に希望を抱かせ続けることが肝要といえよう。 「夢の先取りをしよう」と「命令されずとも自発的に考えて働く、明るい風通しの良い職場にしよう」をモットーに、小さな町工場から世界のホンダにまで一代で育て上げ、成果を見たら企業を私物化せず、同属世襲経営をしようともせず、「自分は良き補佐役に恵まれたので安心して好きな自動車づくりに没頭することが出来た。有難う!」と、陰で支えた女房役をみんなの前で賞賛し、自ら鍛え育て上げた有能な実力派の後継者を指名して、あっさりと社長の席を譲り、余力を残して潔く引退された本田技研工業の創業者本田宗一郎氏のような、私欲がなく大志を抱き続け、姑息な駆け引きより常に本音で真っ向勝負をした指導者こそが、今、閉塞状態で混迷している日本国民が期待し、そして世界が信頼する真のリーダー像といえよう。「家貧しくして孝子出ず」となって欲しいものだ。

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

 幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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